こんにちは(*´▽`*)
Naoです。
今日もここへきてくださって
ありがとうございます。
今日は朝からご先祖供養に
お寺に行ってきたのですが。
うちのおばあちゃんのことを
思い出したので、ちょっと書いてみます。
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うちのおばあちゃん(母方の)は
めちゃめちゃ自分勝手な人でした。
大正生まれの女性にしては珍しく
ゴリゴリのヤンキーで。
私が小さい頃は
いっつもキセルを持っていて、
いたずらしたり、悪い事すると
そのキセルで
「カポーン!」と
叩かれてました。
すっごくすっごく痛かった(笑)
そして、
バツイチで子どもはほっぽり出していて、
酔っぱらって線路に大の字で寝たり
お姑さんに暴言吐いたり
マッチの炭で眉毛書いたり
夜な夜な麻雀、賭博に通いつめて。
はちゃめちゃだったらしいです( ;∀;)
祖父にはいっつも
やぶれたスウェットの上下を着せていて、
自分はオーダーメードのお仕立てワンピースや
正絹の着物を買いまくって贅沢していました。
母が小さい頃は
夜中に母を一人残して
祖父と二人で麻雀三昧。
母の高校生の頃のお弁当は
ごはんの上に切ってもいない
玉子焼きが1本乗っているだけ。
母は祖母の事が大嫌いだったそうです。
めちゃくちゃ自分勝手で破天荒で
人の気持ちなんて考えないような
そんな人だったと言っていました。
あんな人になっちゃダメよ。と。
私は、
自分勝手で破天荒はいけないことだと
単純に思っていたのですが。
今日、ふと思ったんです。
「祖母は幸せだったんじゃないか」って。
祖母は老衰で亡くなったのですが、
亡くなる前の3年ほどは認知症で大変でした。
だけど、ぶっきらぼうで無口で
愛情表現なんて一切したことないんだろうなみたいな
祖父が、一生懸命お世話していました。
そして、祖母の亡き後、
祖父は悲しみに暮れ、認知症になり
1年後には後を追うようになくなりました。
若いころはロバートデニーロにそっくりだった
超絶イケメンの祖父と
チャウチャウ犬にそっくりの祖母(笑)
チャウチャウ犬にそっくりで
自分勝手で破天荒で
擦り切れたスウェットしか買ってくれない妻を
祖父は愛していたんです。
とても。
別に周囲からどう思われようと
娘から嫌われようと
「ダメな嫁」と罵られようと
祖母は気にする事なく
自分勝手を貫いて
ノンストレスだからか
病気をすることもなく、
老衰でなくなったんです。
やりたい放題の人生に
悔いがあったかどうかはわからないけれど。
私の記憶の中で
祖母はいつも
タバコをふかして笑ってました。
「Naoちゃん、人生はな、
楽しんでナンボや。
泣いとったってつまらん。
下向いとってもあかん。
笑ろうたもん勝ちや。」
尼崎育ちの祖母は
関西弁でよくそう言ってました。
離婚して、子どもと生き別れ、
戦争を乗り越えて
事業を起こした祖父と再婚して
母を養女に迎えて
倒産して逃げるように九州へ来た祖母。
それだけ聞けば
辛い人生だと思うけれど。
祖母はきっと
「好きに生きる」
と決めていたような気がします。
自分勝手って最強じゃない?って
祖母の事を考えていたら
そう思ったんです。
だって、周囲の評価なんて
気にしなくていい。
陰口上等!
悪評、アンチどんとこい!
外野が何といったって
私の人生なんだから
私が好きに生きるぜ!!!
みたいな?笑
母はきっと
そんな祖母にストレスを感じていたから
そうなりたくないと思ったのかもしれないけど。
母がストレスを感じただけで
祖母はストレスはなかったのかもしれない。
祖母は別に
痛くもかゆくもなかったのかもしれない。
そこまで振り切らなくてもいいけど、
自分勝手に生きるって
きっと楽なんだろうなって思いました。
おばあちゃん、
私には優しかったし
面白かったし、
好きだったなぁって
そんな想いを馳せた今日でした。
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あなたが今日も生きてることに感謝します。
あなたに今日も優しい時間が訪れますように(*^-^*)
また次回♪