こんにちは☆彡

 

Naoです。

 

今日もここへ来てくださって

 

ありがとうございます。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

どうして痩せたいの?

 

どうして太りたくないの?

 

そして、それから

 

どうなっていきたいの?

 

 

 

当時の自分に向かって聞いてみましたが、

 

ただ、うつむくだけでした。

 

 

 

そして、

 

「幸せになりたいの」

 

という思いが出てきました。

 

 

 

 

私は、今でも自分が痩せているとは

 

思っていません。

 

 

 

鏡で見る自分が、

 

お腹が出てるなぁとか、

 

お尻が大きいなぁとか

 

二の腕が太いなぁと思うんです。

 

 

 

だけど、

 

先日LINEで息子から送られてきた写真。

 

 

私は”ちょぴっと”老眼です(笑)

 

 

この人誰?と思って拡大したら

 

それが自分でびっくりしました。

 

 

 

客観的に見た時は「細め」と認識したのに

 

自分だとわかった瞬間、

 

その人は鏡で見ている自分に変わりました。

 

 

 

目というものは錯覚をよく起こします。

 

 

 

自分というフィルターがかかると、

 

認識が変わった瞬間でした。

 

 

 

私はそれがとてもショックでした。

 

まだ、自分の中には根強く残っているんだと

 

目の当たりにした気持ちになったから。

 

 

 

だけど、

 

多かれ少なかれ誰にでもある感覚だとも思います。

 

 

 

自分の欠点が目に付くということが

 

こういうことなんだと思いました。

 

 

 

私は、自分が幸せでいるためには

 

太ってはいけないと今も思っています。

 

 

 

これは、本当に太ってみて

 

実際に愛されているという体験をするまで

 

もしかしたら終わらないのかもしれません。

 

 

 

だけど、

 

「自分が気持ちよくいられるために

 

 太らないように気を付ける」

 

という比重が大きくなっているのも感じます。

 

 

 

誰の為でもない。

 

自分の為に。

 

仕事がしやすい身体を維持すること。

 

好きな服を着たい自分でいること。

 

健康でいるためにそうすること。

 

 

 

だから食べ過ぎないように気を付ける。

 

だから身体を動かす。

 

 

 

そう心がける方の癖が

 

時間をかけながらゆっくりゆっくり

 

自分に浸透してきました。

 

 

 

それは、そうしようと思っている

 

というよりも、

 

何となくそうなってきた

 

という感覚が強いです。

 

 

 

 

摂食障害は”悪い奴”ではありません。

 

ちょっと困ったちゃんなだけです。

 

 

 

世の中の”障害”と言われる症状はたくさんあります。

 

 

 

極論かもしれませんが、

 

障害を取り除こうともがくよりも

 

共に生きていける着地点を見つける方が

 

ずっと楽だと思うんです。

 

 

 

共に生きていけるためには

 

一旦自分の障害を受け容れる必要があります。

 

 

 

矛盾するかもしれませんが、

 

自分の摂食障害を受け入れる事ができた時、

 

私は症状が軽くなっていきました。

 

 

 

もちろん、命にかかかわるようなら

 

有無を言わさず治療の必要がありますし、

 

そうじゃなくても

 

身体の負担はとんでもなく大きいです。

 

 

 

 

だけど、

 

摂食障害の人のほとんどが

 

自分の事を大事にできないから

 

そうなっていると私は思っていて。

 

 

 

自分の事を受け入れられないから

 

食事も受け入れられないんです。

 

 

 

これは過食でも同じです。

 

 

 

自分の身体や心を大切にできるなら

 

そもそも過食も拒食も過食嘔吐もチューイングも

 

起こりません。

 

 

 

自分が傷つくことを

 

自分を大切にしている人はしません。

 

 

 

ここについて書こうとすると

 

なが~くなってしまうので、

 

今日はこの辺で。

 

 

つづく

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

あなたが今日も生きてることに感謝します。

 

 

自分を大切にしていない人も

 

心の奥底の最後の砦として

 

大事に大事に守っている自分がいます。

 

 

 

見えなくても絶対にいます。

 

 

 

それが人それぞれだったりはあります。

 

 

プライドだったり、思い出だったり

 

信念だったり、愛情だったりします。

 

 

それを守ろうとして

 

自分を傷つけることが起こってしまいます。

 

 

 

私は、

 

私の大事な家族がそうなってしまったら、

 

何を守ろうとしているのか

 

それに気づくことができるかなと思いました。

 

 

 

あなたに今日も

 

優しい時間が訪れますように(*^-^*)

 

 

 

またあした♪