核心を突く質問 | 医療保護入院から寛解までの道「楽に生きるコツ」
こんばんは☆彡
Naoです。
今日もここへ来てくださって
ありがとうございます(*´▽`*)
昨日は中途半端でごめんなさい。
続きを書きますね♡
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病院を進めるのは
とてもタイミングが難しいと書きましたが、
私自身、経験があります。
だけど、素直に受け止められませんでした。
「病気じゃない」
と思いたい自分と
「病院へ行って楽になれるならそうしたい」
と思っている自分がいました。
だけど、
「楽になれるなら」と思っている時点で
「現状が辛い」と思っているんです。
自覚の有無はありますが。
私は、摂食障害が辛いと思っている時期と
摂食障害とすら認識していない時期がありました。
信じられないかもしれませんが、
それが普通だと思っていたんです。
今思うと
ダイエット感覚だったのかもしれません。
中学生の頃、
母がダイエットをしていた時期がありました。
いろんな本を買ってきて試していた母。
リンゴしか食べなかったり、
ゆで卵しか食べなかったり、
大豆の水煮しか食べなかったり。
というか、
もしかしたら3食のうちの夕飯だけが
そうだったのかもしれません。
だけど、
夕飯しか共にしない私にとっては
私が作ったごはんよりも
それしか食べない母に対して
強烈に印象に残ったのかもしれません。
そして、
何気なく読んだダイエット本には
「食べる事に罪悪感を持ちましょう」
「太ることに罪悪感を持てましたか?」
と書いてありました。
私は、それをものすごく鮮明に覚えていて
「ダイエットとは
食べる事や太ることに
罪悪感を持たなければいけないもの」
と認識していたんです。
そして、
特定の食べ物を食べていた母を見て
「そういうものだ」
とも思っていました。
これは、
ダイエットの本を書いた人や
ダイエットしていた母に
責任を転嫁したいわけじゃありません。
私の頭の中に”それ”が鮮明に残った。
という事実を伝えたいだけです。
そして、
テレビで放送されていたダイエット番組で
「太っていて不幸だから痩せたい」
「太っていていじめられる」
「太っていて醜いから愛されない」
「痩せたら人生が好転した」
「痩せたら結婚できた」
「痩せたら両親が優しくなった」
そんな情報ばかりを覚えていました。
社会が悪い訳じゃありません(笑)
ただ、情報というものは
正しく受け取って選別しないと
とんでもない方向へ行く
ということです。
私は、
痩せた人がどうして幸せだったのか
太っている人がどうして不幸だったのか。
その本質を考えるには
あまりにも幼かったんだと思います。
単純に情報をそのままに受け取って
断片的に覚えていたんですね。
だから、
自分がやっていることは
「過食嘔吐」や「拒食症」ということではなく
「ただのダイエット」
と思っていました。
そんな時に
「あなた病気よ、病院へ行きなさい」
と言われても、受け入れられませんでした。
むしろ「邪魔しないで」
とさえ思ったかもしれません。
でも
「どうして痩せたいの?」
と聞かれたらどうだったんだろう?と思います。
きっと、答えられなかったんじゃないかなと
思うんです。
ゴールなんて初めからなかったんです。
だから終わらない。
痩せたいんじゃなくて愛されたいから。
太ることじゃなくて愛されない事が怖いから。
愛されるまで終わらないんです。
太っても大丈夫って思えるまでゴールは来ません。
誰に??
自分自身にです。
両親だったかもしれません。
だけど、両親に求めていたものは
「無償の愛」も、もちろんあったでしょうが
「私の愛し方のお手本」
だったんだと思います。
自分が思うカタチで無償の愛を受けて育っていたら
自ずと自分の愛し方を見て、感じて知っています。
私は両親の愛のカタチを
全力で否定してしまっていました。
だから、わからなかったんです。
話が逸れました(笑)
「どうして痩せたいの?」
「どうして太るのが嫌なの?」
この核心を突かれたら
私はどうしていただろう?
私は何と答えただろう?
って、思うんです。
つづく
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
あなたが今日も生きてることに感謝します。
日々を生きる中で、
「空白」が怖いと思う瞬間があります。
目まぐるしくマグロのように
止まることなく進み続ける事が
私にとっては安心できることだったりします。
「空白」は立ち止まって考える時間。
私は未だにそれが怖いと思っていて
向き合うことができていません。
そのうち、最適なタイミングで
その時間は訪れると思うので
それまで寝かせておこうと思います。
あなたに今日も
優しい時間が訪れますように(*^-^*)
またあした♪

