こんにちは(*^-^*)

 

Naoです。

 

今日もここへ来てくださって

 

ありがとうございます☆彡

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

今日は愛情について書こうと思います。

 

 

 

私は、母親に愛されていないと思って育ち

 

長いこと苦しんで生きてきました。

 

 

 

自分が死を感じるほどまでに弱って

 

2年間入院してみて

 

自分の心と嫌というほど向き合いました。

 

 

 

だけど、ずっと寂しくて悲しくて

 

親から愛されない私には価値がないと

 

そう思って生きてきました。

 

 

 

40を超えてからようやく

 

過去の自分に会いに行って

 

解釈を変えていくことを覚えました。

 

 

 

そんな中で気づいたことは、

 

私は母に愛されていなかったのではなく、

 

私が望む愛し方と、

 

母が与えた愛し方の

 

形が違うだけだった。

 

ということでした。

 

 

 

 

本当に、ただそれだけだったんです。

 

 

 

 

私はちゃんと愛されていました。

 

母が与えたいと思う形で。

 

 

 

 

私が母に望んだ愛情とは、

 

「どんな私でも全てを受け容れてくれて、

 

深く理解を示してくれて、

 

私に興味を持ってくれること。」

 

だったんです。

 

 

 

 

だけど、母の与えたい愛情は

 

「健やかに育ってくれて、

 

 安全な生活ができて、

 

 いつも気にかけてくれる

 

 心配してくれる母親で

 

 将来困らない教育をしてあげること」

 

それが母の思う親の愛情でした。

 

 

 

 

 

私が望むものとは大きく違いました。

 

 

 

 

 

だけど、母は愛してきたんです。

 

ちゃんと、自分なりの愛情を惜しみなく

 

私に注いでくれていたんです。

 

 

 

それに気づいたとき、

 

心がほどけていくのを感じました。

 

 

 

 

母が私から受け取りたかった愛情も、

 

きっと私が渡しているものとは違っていて。

 

 

 

 

だけど、

 

お互いに精一杯愛情表現をしてきたんです。

 

お互いに相手の事を大事に思ってきました。

 

 

 

 

その形が、お互いが持っている

 

愛情の受け皿の形と違っていた。

 

 

 

 

丸い愛情を、三角にねじ込もうとした

 

三角の愛情を、丸にねじ込もうとした。

 

 

 

 

だけど入らなくてはじいてしまっていました。

 

その形は愛情じゃない!と突っぱねてしまっていた。

 

 

 

 

人は、

 

自分が与えたい愛が愛情だと信じていて。

 

自分が愛情だと信じている物を受け取りたくて。

 

 

 

そうじゃないものは愛情だと気づくことも

 

その愛情を信じる事も難しいものです。

 

 

 

だからお互い拗ねちゃって、いじけちゃって

 

こじらせてしまいました。

 

 

 

 

私が欲しい愛はこれだよって伝えていたら、

 

私が与えたい愛はこっちだよって知っていたら、

 

 

 

 

あぁ、母なりの愛を注いでくれているんだなって

 

安心できていたと思います。

 

 

 

 

私の夫が与えてくれる愛情は

 

私が受け取りたい愛情と同じ形だったから

 

きっと、お互いに安心していられる。

 

 

 

 

離婚した夫の愛情は私の形とは違っていて

 

理解できなかったから辛くて離れてしまった。

 

 

 

そういうことなんだと思います。

 

 

 

そう思ったら、

 

今まで別れてしまった恋人も

 

愛のカタチがしっくり合わなかっただけで

 

ちゃんとその人なりの愛情を

 

一生懸命注いでくれていたんだなって

 

優しい気持ちになれました。

 

 

 

 

 

 

母娘というのは

 

わかってくれるだろうと甘えがある分

 

こじらせやすい関係でもあると思います。

 

 

 

 

だけど、

 

母なりの愛情

 

娘なりの愛情、

 

その形が違うだけかも?

 

相手の受け皿の形はどんな形なんだろう?

 

自分の形を無理やり入れ込もうとしていないか?

 

 

 

 

そう思って立ち止まってみたら

 

案外スルッとほぐれるのかもしれません。

 

 

 

 

みんなお母さんのことを愛しているし

 

みんな子どもの事を愛しているんです。

 

 

 

 

 

その愛が間違っているわけでもないし、

 

あなたがダメだから伝わらないわけでもないし、

 

あなたが一生懸命愛してきたことも誰も否定していません。

 

 

 

 

あなたが愛してきたことが

 

無駄だったわけでもなんでもなくて

 

育て方が悪かったとかそういうことでもなくて

 

形が違っただけなんです(*^-^*)

 

 

 

 

あなたは間違ってない。

 

あなたの愛を否定しないであげてほしいんです。

 

 

 

 

私、一生懸命愛情注いできたよね~って

 

自信をもってねぎらってあげてほしいんです。

 

 

 

 

自分の子どもが大人になったのは、

 

親の愛が注がれて育ったからに

 

他ならないんです。

 

 

 

 

ただ、

 

子どもだからといって

 

同じ形の器に育つとは限らないだけの

 

それだけの事なんです。

 

 

 

 

娘を想って胸を痛めるお母さんに

 

私は悪いことしたなって思っています。

 

 

 

 

 

 

ちゃんと受け取ってあげたらよかった。

 

お母さんの愛はどんな形なの?って

 

 

 

そうすれば、母の愛がちゃんと見えて

 

たくさん注いでくれてありがとう!

 

って伝えられたと思うんです。

 

 

 

 

だけど、私はこんな形の愛が欲しいんだよ~って

 

伝えられてたら

 

こんなに愛しているのにどうして寂しいの?って

 

お母さんを苦しめずに済んだかもって思います。

 

 

 

 

 

私は母を憎んだり責めたり恨んだり疑ったり

 

そんな感情を持ちながらも、

 

母が大好きな自分の心が

 

一体どうして矛盾するんだろう?

 

思っていました。

 

 

 

 

だけど、心の奥底では

 

形が違っただけで愛してくれてたよね、

 

そうわかっているから

 

母を悪く思う自分が許せなかったんです。

 

母のことが大好きなのに

 

上手く伝わらないことがもどかしかった。

 

 

 

 

母が望む愛情の形を少しづつ理解して

 

寄り添っていきたいなと

 

中年になった今、ようやく思えるようになりました。

 

 

 

 

母がいつか旅立つとき、

 

子ども達に愛されて、幸せだと

 

そう思える人生にしてあげたいなと

 

やっと心から思えるようになるのに

 

43年もかかったんです。

 

 

 

私の親孝行はこれに気づけたことだし、

 

それを実行していくことかなと

 

そう思いました。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

あなたが今日も生きていることに感謝します。

 

 

あなたが求める愛のカタチは

 

どんな形ですか?

 

 

あなたが気づいていないカタチの愛が

 

もしかしたら身近にあるかもしれません。

 

 

そんな愛があることに気づけたら

 

きっと心がホカホカになると思います。

 

 

あなたが生きている事に感謝している

 

私からのささやかな愛も

 

受け取ってもらえたらうれしいです(*´▽`*)

 

 

 

あなたに今日も

 

優しい時間が訪れますように(*^-^*)

 

 

 

またあした♪