こんにちは(*´▽`*)
Naoです。
今日も私のブログに来てくださって
ありがとうございます。
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母とのカウンセリングで、
母だけが
母がどれほど私に手をかけてきたか
母がどれほど一生懸命子育てをしてきたか
母がどんなに子どもを大事に思っているか。
切々と語っていました。
だけど、私には何も響きませんでした。
嬉しいとか、ありがたいとか、誤解していたとか
そういった感情は何も出てきませんでした。
ただ、
どうしてこんなに必死なんだろう?
そう思っていただけで。
そうさせているのが私だという事と、
それが申し訳ないという気持ちだけが
私の中にありました
結局母は、自分を守りたいんだな。
私の事なんて考えてないんだな。
”私が”出来が悪いから
母は愛情から厳しく育てただけだと
そう言いたいんだなという事は
理解できました。
そして、
「私は母親だし、同じ女性だから
この子の考えている事や望んでいる事、
この子がどうしたら幸せになるのか
全部わかっているんです!」
という、
何度も聞いた言葉を、また何度も聞きました。
私は、
私の望んでいることがわかっているのなら
どうしてそうしてくれないんだろう?
と思っていました。
お医者さまとカウンセラーさんは
顔を見合わせて、
「お母さん。娘さんが考えている事は
いくら母親でもわからないものですよ。
別の人間なんですから。」
とやんわり話してくれましたが
母は、聞き入れることはありませんでした。
母の中での母親とは、
きっとそういう基準だったんでしょうね。
カウンセリングは
何の収穫もなく終わりました。
・・・母が変わらないという収穫はありました(笑)
お医者さまは、
母とのカウンセリングはもうしないと言いました。
そうでしょうね。と私は思いました。
私もこの時30歳を越えていたので
自分で解決しようと思いました。
母との記憶のすり合わせや、
誤解を明確にするという作業は
別になくてもいいのかなと
今は思っています。
”単なる事実の解釈の相違”
それなら、
解釈を良い方に変えてしまえば
母の協力なんて別に要らないのかもしれません。
1回のカウンセリングでしたが
二度としなくていいと思いました。
そしてめちゃくちゃ疲れました(笑)
母は、自分の訴えをわかってもらえたと
そう思ったようですが、
私にはどっちでも良くなっていました。
私を理解してもらおうと思うから
しんどくなるんです。
理解してもらおうと思わなければ
別にどっちでも良くなります。
あまり良い方法ではなかったかもしれませんが
もう成人した大人ですから、
母との関係性の修復やすり合わせは
してもしなくても
私は母と笑顔で接することができるだろうと
そう思えたので。
母に受け入れてもらうよりも
自分が母を受け入れようとすることが
私にはよかったのかもしれません。
こうして母とのカウンセリングは終わりました。
つづく
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今日もあなたが生きていることに感謝します☆彡
あなたに優しい時間が訪れますように(*^-^*)
またあした♪