こんにちは(*'ω'*)
Naoです。
今日も私のブログに来てくださって
ありがとうございます(*´▽`*)
入院までの経緯を綴ってきましたが
お話を入院生活に戻しますね♪
脱線しながら自由に書いていきます(笑)
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↓前回はここで終わってました↓
女性専用病棟へ移動して、
急性期病棟よりはいろいろと制限が
少ない(気がする)生活になりました。
友人にも連絡を取れるようになりましたが
私はごく限られた友人にのみ連絡をしました。
そして有料の個室から一般の個室へ移動しました。
とは言っても、誰かと一緒の病室ではなく、
お風呂が共用なだけでトイレがついている個室。
全個室の病棟だったので、かなり気が楽でした。
誰かと同室というだけでストレスにもなるし、
トラブルも増えるからねとスタッフさんに聞き
なるほどと思いました。
シングルベッドと、小さな机、クローゼットで
いっぱいになる小さな部屋。
私はこの狭い空間が落ち着いて好きでした。
窓には格子がかかっているけど、
明るい温かい光も入ってくる南向きのお部屋で。
本を読みながらぼんやりと過ごすと
とても安らかな気持ちになれました。
もうすぐたかちゃんの誕生日。
私は外出はできないので作業療法で行われる
革細工でたかちゃんにキーホルダーを作りました。
もともと手先は器用な方だったのと
細かい作業を黙々とするのが好きだったので
革細工の時間は大好きでした。
父の誕生日もたかちゃんと同じ月だったので
父にはコインケースを作り、
お誕生日には外出できるようにせっせと
治療に専念しました。
入学式に行けなかったことが
とても申し訳なく思っていた分、
お誕生日には安定しておきたい。
そう思いました。
私は、父の携帯を通じて
たかちゃんとコミュニケーションも
取れていました。
一生懸命Wiiでボウリングをしている姿や
お勉強をしている姿も、送ってくれていました。
母とは、手紙の一件以来
少し構えて接するようになっていました。
きっと、D君としんちゃんの件が原因で
私がこうなったと思っていて。
責任が他人にあると思っていたから
母は気持ちに余裕があったんです。
だけど、根っこの部分に母とのことがあり、
それを突き付けられたあの手紙。
母は、自分のせいじゃないと
そう思いたかったと思います。
だから、母からの返事は
「私のせいじゃない」ということに
終始していたんだと思います。
母は私の事を大事に愛してきて
死に直面している娘が心底心配で、
幸せになってほしいと思っていて、
笑っていてほしいと強く願っていた。
なのに、自分に原因があったと
その娘から言われるなんて。
と、受け入れられなかったと思います。
小さいころ教会に捨てられた母。
養父母は事業に失敗し、パチンコ三昧。
若いころは二人とも大嫌いだったと
いつか話してくれました。
だから、自分の子どもには
余るくらいの愛情をかけたい。
そう思っていたと。
それが執着に変わったんだと思います。
母も寂しかったんでしょうね。
そして、理想の家族像があって
それを叶えたかった。
その価値観に私は合わなかったんです。
母のしたい事と私のしたい事は
違ったんです。
魂が求める幸せの形が違ったのに
無理やり合わせようとした結果
なんだかおかしなことになったんです。
ただそれだけのことだったなと
今になって思います。
”お互いにお互いの価値観に
相手を合わせさせようとした。”
母は理想の娘という型にはめようとし
私は理想の母という型にはめようとした。
だから反発してひずみが出たんです。
私は息子に理想像は持ちませんでした。
生きていてくれればいい。
ただ1つだけでした。
だから、楽でした。
成績がビリでも、学校をサボっていても
10代で子どもができても
それぞれの出来事で学びや気づきがあって
本人が幸せになる道につながると
そう信じているからです。
親としてはダメでしょうが、
本人が決めたことを応援するだけです。
彼は幸せな選択しかしないと信じているし、
彼が生きているからそれでいいんです。
10代で子どもができた時も、
彼女も息子も産み育てると決めました。
二人が幸せになると信じているなら
それでいいじゃないと思ったんです。
もちろん全力でサポートはしています。
できないから助けてって言われたことだけ(笑)
産まれてくる子どもは、
祝福に包まれていてほしいんです。
10代で戸惑ったけど、みんながあなたを待ってたよと
そう言われてほしいじゃないですか(*^-^*)
あら?なんだか脱線しましたね(笑)
ともかく、
お誕生日まで私はせっせとがんばったので
無事、お誕生日会に行けることになりました。
つづく
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あなたが今日も生きていることに感謝します。
自分が愛されていないと思って育った私は、
愛されすぎていたと気づく瞬間がありました。
あなたが持っていないと思っているものは
本当は持っているのかもしれません。
ただ、あなたの望む形や色じゃない
ということかもしれません。
あなたが本当に欲しいものは何ですか?
お金が欲しいと思っていても
本当は安定というものが欲しいこともあります。
本当はみんながうらやむような生活が欲しい
ということもあります。
そしてさらに、
安定が欲しいのは、安心が欲しいから。
うらやまれるような生活が欲しいのは
いいなぁという承認が欲しいから。
ということにつながったりします。
自分を俯瞰することは難しいですが、
本当に欲しいものが何かを
じっと掘り下げた時、
本当は持っているということに
気づけたりもするので
気持ちや時間に余裕があるときに
暇つぶしくらいの軽い気持ちで
俯瞰してみてくださいね(*´▽`*)
あなたに今日も
優しい時間が訪れますように☆彡
またあした♪
