こんにちは(*´▽`*)
Naoです。
今日も私のブログに来てくださって
ありがとうございます。
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目が覚めないかもしれないと
そう思いながら、
たかちゃんを抱いて眠りに落ちた私。
翌朝私は、目覚めませんでした。
今思うと、
自分の鼓動が遅くなっている事は
自分でもわかっていました。
眠ったら目が覚めないかもしれない。
そう思っても、別に何も感じなかったんです。
それならそれで。
そう思っていたように思います。
私はこの日、たかちゃんを泊めたことを
ひどく後悔することになります。
後で聞いた話によると、
父に私のスマホから着信があり、
父が出るとたかちゃんで。
たかちゃんは泣きながら
「ママが死んでる」
そう言ったそうです。
父は慌てて家に来て
血の気が引いた顔で眠っている私を見て
向こう側が透けて見えそうな顔色だった。
本当に亡くなっていると思った。と
話していました。
呼吸を確認すると
かなり弱いけど浅く息をしていて
心臓に耳を当てると
恐ろしくゆっくりで。
泣き喚くたかちゃんを母に任せて
抱きかかえて車に走ったそうです。
救急車を呼ぶよりも行った方が早い。
家から救急病院までは車で3分もかかりません。
抱きかかえてあまりの軽さにさらに驚き
父は運転しながら泣いたと言っていました。
そのまま病院へ行きICUへ。
心臓は1分間に数回しか動いていませんでした。
血圧は上が20ほどしかなく、
いつ死んでもおかしくない危篤状態でした。
お父さん、覚悟をしてください。
そう言われたそうです。
父は愕然としながらも、葬儀社に娘が危篤だと
連絡を入れ、母と姉と弟にも連絡をし、
遅れてやってきた母とたかちゃんと入れ替わり
車の中で涙を流したと言っていました。
私はそれから2週間ほど
目覚めることはありませんでした。
ただ、処置のおかげで脈拍も10回を超え
呼吸も増えてきたため、安心したそうです。
父は毎日葬儀社にまだ大丈夫ですと言えることが
何よりも救いだったと言っていました。
たかちゃんは完全に不安定になり、
泣いたり落ち込んだり、
眠れなくなったそうです。
眠ったらママが死んじゃう。と不安がり
毎日病院へ行きたがったと聞きました。
そうして私は目が覚めました。
高度な徐脈。
だけど機能的には問題はなくて。
栄養が足りないことで身体が生き延びるために
内臓の活動さえ最低限のエネルギー消費になった。
ということでした。
目が覚めてしまったということよりも
あぁ、私の身体は生きたかったんだなと
他人事のように感じました。
2日ほど検査をして翌日には
救急車で近くの精神科へ移されました。
歩くことができなかったけれど、
身体に異常はなく、
救急病院でできることがなかったためです。
そうして、私の意志には関係なく
医療保護入院という形で
私の精神科での入院生活が始まりました。
ここから始めのブログへつながります。
かなり前後しましたが、一周しました(笑)
つづく。
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あなたが今日も生きていることに感謝します。
ブログにコメントをくださって
私のこれまでの経験に
共感してくださったり、
涙を流してくださる方がいる事を知って
生きていてよかったなと思います。
私の人生も、誰かに何かのきっかけを与えれるかも。
ただ辛かっただけじゃない。
そう思えることが嬉しく思います(*^-^*)
どんなに辛くても、世界は変えられます。
自分が変わると、世界はこんなにも優しく
温かいと私が体験したからそう思えます。
私が産まれてきた意味は、
死ぬまでわからないかもしれないけれど
幸せな人生だったと
そう思える生き方をこれからも
続けていきたいと思います(*^-^*)
あなたが自分を許して
生き辛さが少しでも和らぐ事の
お手伝いが出来たらなと思います。
あなたが今日も生きていることに感謝します。
またあした♪
