久しぶりのブログ更新ですが、まったくのプライベートな話です。
来週には卒園という息子。
今日はちょっとした微熱と咳で幼稚園を休みました。
あと4日しかないうちの今日だったので、朝電話で先生とも相談したのですが、他にも「咳が出てるから・・・」と大事をとってお休みしている年長さんもいる、とのことでうちもお休みに。
本人の希望も強く、どうやら幼稚園児ながらにも疲れが出たようです。
かくいう私も、先週から若干の微熱と喉の痛みに始まり、市販の風邪薬を飲みながらなんとか日々をしのいでおりましたが
昨夜は頭痛もひどくて、朝にはぐったりでしたので、息子のお休みに救われたのは私の方かな〜と思っております。
Doingではなく、Beingとしての「おかあさん」
購入しているメルマガやアメブロを読んでいると、すごく活動されている女性起業家で私と同じお子さんが卒園を迎えます、という方が多いことにびっくりしたりします。
しっかりと「仕事をする」環境を作られているんだから、お前がびっくりすんなや、っていうだけなんですが(口悪い^^;)
なんででしょうね。そういう覚悟が私にはなかったんだな、と思うし、求めているもの・必要としているものの違いでもあるし、比べるものでもないし。(そもそも、覚悟があったところで、同じレベルで話せるような方々ではありません。)
色々と迷うことも多くて、自分を褒めることのできない3年間でした。
そんな中で最後にわずかながらも「承認」を感じることができたのは、やっぱり幼稚園で過ごした「お母さん」としての自分だったことを思うと、これでよかったんだな、って思っています。
息子にとっても、私にとっても、「この幼稚園を選んでよかった」と心から思えること、感謝できることが、多分次へ進むためのエネルギーになってくれると信じています。
〇〇しなきゃ女性じゃない、というような価値観を捨てる
イデオロギーとしての「女性」を語ると、少し窮屈な感じになりますが
例えば、国際女性デーとされた日に、女性労働者を中心に起こったデモが広がり、最終的にロシアの帝政を終わらせソ連の設立につながった、という歴史を持つ旧ソ連諸国では、先日の国際女性デー(3月8日)は国民の休日となっているそうです。
政治的な意味合いは薄れ、現在は女性の美しさや母性を讃える日として、まだお花が高価な季節にもかかわらず、多くの男性が花を買い求めてパートナーにプレゼントするのだとか。
社会的・経済的な対等さ、というのも大事だと思いますが
男女間での対等さって、こうした「違い」を踏まえた尊敬が大事だと思っています。
私自身、夫との関係で、色々と悩むこともありましたが
私の「わかってほしい」は、むしろそうしたお互いの尊敬からはズレたものであるような気がずっとしていて
思えば、夫は多分そうした意味で私をちゃんと尊敬してくれてるんだろう、ということを「当たり前」のスタンスとして捉えることが大事なんじゃないかと。そうする中で、何かが変化していくようです。
まずは自分の女性としての価値を、自分で誇るべき。
先日、ある女性からなんだかすごく侮辱されたようなことを言われました。
正直すごくムカつきましたが、そうしたのは自分だな、と。
「できない」自分を抱え続けるのはやめて、息子と一緒に新しいステージへ、卒業の時だなと思っています。
女性の持つ美しさ、そして「母性」は、生来兼ね備わっているもの。
それは子どもを産んだ・産まないにかかわらないと思っています。
そして、息子が通った幼稚園には、私が本当に美しいと思う女性がたくさんいました。
私の独身の友人にも、本当に女性として素晴らしい人がたくさんいます。
そうした友達や幼稚園のお母さんたちからもらった言葉こそを人生の宝物に、次のステージに向かいます。
ほぼ独り言にお付き合いいただきありがとうございます!
次回は、ずいぶん前にリクエストをいただいて、なかなかかけていない「囲み枠」のhtmlタグについて書きます。
Cocoro+et+Gokoro(こころ・え・ごころ) 北川 直枝