たとえば、子どもとスマホのことを考える前に、自分とスマホのことを考えた方がいいし、もっと言えばパソコンも、テレビも、人間関係も同じで、何か物事を見直す時の関係性は一対一がいいな、と思います。
子どもとスマホの問題かと思ったら、実は自分とスマホのことだったり
子どもと夫の問題かと思ったら、実は自分と夫のことだったり(笑)
そんなことは山のようにあって、そうやって「自分と〇〇」を突き詰めて行くと、問題だと思っていたことが実は問題じゃなかったり
問題だ、としながらもっと大きなものを隠していたり・・・ということもあったりしますね。
問題と解決って、結構自分の外側にあることで、それを繰り返している間は気づかないこともあります。
問題を見つけて、解決に注ぐエネルギーは相当なので。
親だからこそ気づかない、子どもからのSOS
「たすけて!」と言えることはとても大事です。
『世界の中心で愛を叫ぶ』という映画が大ヒットしましたが、あれも森山未來くん演じる"さくちゃん"が、倒れてしまったあきを抱きしめて、「たすけてください、たすけてください」と叫ぶ姿が、みんなの心の中にあった、もう忘れてしまったかのようなSOSに反応したからじゃないかな、って思っています。
子どもは「親」には「助けて」となかなか言えない気がします。
自分が苦しんでいることを伝えることは、親を否定することと同じような気持ちになるんじゃないかと思うからです。
私の息子も、なんだかんだと6歳になりました。
もう一端なことを言います。
そして、私には言いたくないこともあるようです。
嘘もつきます。
バレてるのに知らん顔をするその姿は、なんだか笑ってしまいます。
小学校入学まであとわずか。
今、彼のためにできることはなにか。
まだ未就学前から在宅のメリットを生かして「仕事」をしてきたつもりですが、その「仕事」という響きに酔いしれてはいなかったか?と自問することもあります。
振り返れば、初めての子育て、初めての介護、そういったものがいっぺんにきて、その流れにそのまま飲まれたら壊れてしまいそうで、カウンセリングを受けたり、コーチングを学んだりして
そこから「仕事」という逃げ道があることが救いになりました。
そんな私を息子は本当にサポートしてくれました。
申し訳ないほどに。
今、私は特に迷うことも、悩みもなく、「お母さん」業に専念できる立場にあります。
それは自分が迷ったおかげだったり、つまづいたおかげだったり、とても幸せなことです。
これまでの小学校までにしかできない関わり、そしてそのあとも。
子どもとの「今」は本当に、密度の濃い「今」なのだということ改めて実感する今に、あらためてそう思えること。
仕事をしている、していないに関わらず、子どもはいつも丸々そのままで私たちのそばにいてくれる。
忘れずにいかなければ、と思いつつも、焦燥感に心が乱される毎日でございます。
がんばれ、おかあさん。
Cocoro+et+Gokoro(こころ・え・ごころ)
北川 直枝