歴史教科書に記載されている「中華思想」 |  Egi Shun,s BLOG~歴史教科書から探る史実探訪

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山川出版社刊 『詳説 世界史研究』『詳説 日本史研究』 の記述から、気になる史実を探訪しています。右サイドバーの目次からどうぞ


詳説世界史研究(山川出版社 2002年版) より書き起こし

 ↑高校教師用の教科書です。私は教師ではありません。教員免許も持ってません。趣味で所有しております。

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135頁本文
中国では、古くから周辺の異民族に対し、中華思想と呼ばれる文化的な優越感があった。

これは漢民族(中国人)とそれ以外の異民族の区別を明確にし、漢民族を華と称してその国土を中華・中国・中原と呼んで美化するとともに、異民族を文化程度の低い夷狄(いてき)と称して蔑視するもので、華夷思想(かいしそう)とも呼ばれた。

当時、南宋が夷狄(いてき)である女真族に臣下の礼をとったことは、この中華思想にもとづく自尊心を大いに傷つけた。そのため、朱子学では、漢民族の優位を強調する華夷(かい)区別を論じ、君臣・父子の身分関係を正す大義名分論が唱えられ、さらに夷狄(いてき)を排除しようとする攘夷論が高まった。

285頁参考
みずからを世界の中心であると考えていた中国は、周辺諸国を文化的に遅れた夷狄(いてき)とみなし(中華思想)、このため周辺諸国との交易は、中国君主の徳をしたった諸国が、「貢物」を献上し、君主はこれにこたえて「賜物」を与える、という恩恵的な朝貢形式がおこなわれていた。

朝貢は中国君主が認めた諸国に限り、さまざまな制限が設けられるのが常であった。明も、日本や南海諸国に対して、勘合符を与えて朝貢貿易をおこなったが、16世紀から来航したポルトガルをはじめ、スペインなどのヨーロッパ諸国に対しても、朝貢貿易の形式を適用した。

つづく清もヨーロッパ諸国との交易を、従属国からの朝貢と同一であるとの姿勢をくずさず、来航地・品目・数量などを一方的に制限した。こうした交易体制は、19世紀の南京条約まで続けられた。

(引用ここまで)
注)南京条約(1842)とは、清国が英国に敗れたアヘン戦争の講和条約です。
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最初に引用した時代(135頁)は、北狄(ほくてき)- 匈奴・鮮卑・契丹・蒙古などの北方諸国が優勢で、中華王朝は非常に手を焼きました。簡単に要所だけ書きます。

(916~1125年)
モンゴル系契丹族(キタイ Kitai)の国。遼は、中華の外に本拠地を置きながら、後晋(936~946年)に中華の一部を割譲させた画期的な国。燕雲十六州の割譲(936年)、現在の河北省と山西省の一部で北京も含まれる。長城の南なので当然中華の領地だと漢民族は思ってる。

西夏(1038~1227年)
チベット系タングート族(党項 Taugut )の国。遼と結んでたびたび宋(960~1127年)に侵入したが、1044年に宋と和約した。宋に臣下の礼をとったが、宋に事実上の朝貢(銀と絹)をさせた。ちなみに国号は大夏と称したが、宋側では西夏と呼称して蔑視した。

(1115~1234年)
ツングース系女真族(女直 ジュルチン Jurchin)の国。約200年間、遼の支配下だったが、1115年自立、1125年に宋と結んで遼を滅ぼす。宋は燕雲十六州の奪回を金に求めたが、「はいそうですか」と金が返すはずもなく戦争(靖康の変 1126~27年)になる。敗れた宋は華北の地を捨てて南遷する。これが南宋(1127~1279年)で、金に対して臣下の礼をとった。

余談だが、朝鮮半島の高麗王朝は、金と南宋の両方に臣下の礼を取り朝貢するハメになったらしい。


では、あとに引用した285頁の補足を少々。

(1368~1644年)
モンゴル帝国である元を追い出した240年ぶりの漢民族による統一国家。江南を根拠地として中華を統一したただひとつの王朝で、都は南京に置いた。追い出したものの北方異民族は脅威だったので、現存する万里の長城がこの明の時代につくられる。

北京を占領して明を滅ぼしたのは漢民族であるらしい農民の李自成だが、明の武将・呉三桂はこれを不服とし、軍事拠点の山海関を開き、女真族の清(1616~1912)の軍隊を招き入れた。万里の長城も意味ナッシング(笑)。1616年から1644年までは、明と清(1616~36までの国号は後金)が、長城を挟んで睨みあっていたのです。

余談だか、明に朝貢していた李氏朝鮮は清の建国を認めなかったため、清に攻撃され臣属させられている(1636年)。よって明と清に朝貢するハメになったらしい。またですか?


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ついでだからウイキペディアよりも引用


中華思想(ちゅうかしそう)とは、中国大陸を制した朝廷が世界の中心であり、その文化、思想が最も価値のあるものとし、朝廷に帰順しない異民族の独自文化の価値を認めず、「化外の民」として教化・征伐の対象とみなす、中国大陸に存在する伝統的な思考法。「華夷思想」「華夷秩序」などともいう。

人間、国、物事の関係を水平ではなく上下関係で見るのが、中華文化の特徴である。その為、名前の前に敬称の「老」または蔑称の「小」を付けることが多く、反日デモにおいて度々用いられる「小日本」という呼称はその一例である。

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学術的用語を離れた俗用法として、漢人の伝統的な思想という学術的な意味から転じて、単に強引で自己中心的な考え方を中華思想と呼ぶ場合がある。

もっと詳しく知りたい方は → wikipedia.org/wiki/中華思想

(引用ここまで)
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中華人民共和国の方と接する場合、交渉事でも仕事でもプライベートでも、彼らの根本にこの中華思想があることを忘れてはいけないと思います。足元すくわれますよ。私の経験則でいえば、江南の方たちは、それほどでもないと思います。華僑さん・香港さん・澳門さん・台湾さんも人民共和国とは違うようです。

北京政府とその取り巻きさん・人民解放軍は中華思想の凝り固まりかと推測されます。実際にお会いしたこともお話したこともないので、あくまで推測です。