平成版ガメラと高速増殖炉もんじゅ |  Egi Shun,s BLOG~歴史教科書から探る史実探訪

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山川出版社刊 『詳説 世界史研究』『詳説 日本史研究』 の記述から、気になる史実を探訪しています。右サイドバーの目次からどうぞ



東宝のゴジラ成功を受けて他の映画会社も怪獣映画をつくるようになる。その中でもゴジラに追随する人気を博したもう一体のGが大映のガメラである。

そういえばギャオスも頭文字はGだね。

こんな人気者を映画界が放っておくはずもなく1995年3月11日にリメイク版「ガメラ 大怪獣空中戦」が公開された。(※公開日日付に要チェック) 

この映画は製作が大映で配給が東宝という昭和時代には考えられなかった興行をされた。

かなりの成功を収めて続編が二作つくられ平成ガメラ三部作といわれている。俺もすっかり気に入ってしまい三作ともDVDで所有し何度も観てる。

とりわけ福岡ドーム(現・ヤフースタジアム)からガメラが飛び立って光輪になるシーンはめっちゃめちゃカッコいい。CGの使い方はこうでありたいね。

ピアノ線で吊るしたガメラ模型にロケット花火4っつつけて回して撮った昭和版とは隔世の感があるよ。まああれはあれで味があるのだが・・・

さて「ガメラ 大怪獣空中戦」では、冒頭シーンにてガメラが東シナ海で日本のプルトニウム輸送船に接触している。映画では明らかにされていないが、使用目的はもちろん日本の高速増殖炉で輸入元はたぶんフランスだろう??

こんなの明らかにしちゃうと映倫から待ったがかかりそうだからな。

そして映画のなかではプルトニウムの危険性について、主演の井原剛志と中山忍に2回のシーンにわたって語らせている。

ほんのわずかな量でがんを引き起こす代物であることも、半減期が24000年と途方もなく長いことも、台詞として語られる。ただし映画全体としては反核のメッセージ性はない。

あくまで怪獣娯楽映画だ。

映画公開当時プルトニウムを使った原子力発電は、高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市/所管は独立行政法人日本原子力研究開発機構)で実際に行われていた。

電気供給が目的ではなく実用に向けての研究開発の運転である。

前年に初臨界に達し同年8月に初発電に成功している。しかし同年12月に冷却材であるナトリウム漏洩事故が起こり、翌年1月にこの事故の隠蔽も報道され、実験運転は無期停止になった。

このときに「もんじゅ」のプロジェクトを永久に葬り去れなかったのは、当時の日本国と日本人の選択したことだったのかもしれない。またこの年は他にいろんなことがありすぎた。



1995.1.17  阪神淡路大震災
1995.3.20  オウム真理教・地下鉄サリン事件
1995.11.23 ウインドウズ95 日本発売


ウインドウズ95の発売は社会現象となり一気に0A化がすすみ、パソコンと携帯電話が爆発的に普及しだした。翌年公開された「ガメラ2」では携帯電話とパソコンがシリーズ初登場している。

俺の勤めていたところでもオフィスの事務作業が一気にパソコン作業にシフトして、責任者だった俺はキーボードやマウスなど触ったこともないパートの事務職員女性(いちばん若くて俺より10歳上)にパソコンを教える日々だった。俺自身も素人に毛が生えた程度で人に教わりながら別の人に教えるという苦しい作業だった。

大震災の影響も甚大だったし復興事業は始まったばかりだった。

オウム真理教が社会に与えた恐怖も甚大だった。

当時の日本国民の多くは全国報道されていた「もんじゅ」の事故についてまで、あまり興味を持てなかったのかもしれない。

この当時の日本国首相は村山富市(首相在位1994.6.30~1996.1.11)であり、政界も混乱していた。偶然だろうが、なんか今の世情と似ている気がするよ。


>追記

高速増殖炉って早口で三回言ってみて??たぶん言えないと思う。