http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2015_0315.html


 

群馬県渋川市で3年前に見つかった、今からおよそ1500年前の成人男性の骨。
よろいを身に着けた姿で噴火の火砕流に巻き込まれたことが分かり、大きな注目を集めました。
この古墳時代の「よろい人骨」。その後さまざまな調査が進み、男性の半生を探ることが可能になってきました。
どんな生い立ちで、どのような立場にあったのか。そしてその時代背景は。
古墳時代人のライフヒストリーを巡る最新の研究状況をまとめました(ネット報道部 高橋俊雄  本日配信のNHKニュースウェブから引用)。


アルプスの氷河で見つかったアイスマンというのが有名ですが、日本では一部のミイラ化したものを除けばあまり聞かない話であり、このニュースを聞いたときから興味深く思っていましたが、もう3年も前のことかと思うとともに、その間ずいぶんと研究が進んだようで面白いと思いました。


 

人骨の調査からは、男性は熟年前半で推定身長は1メートル64センチ、顔の特徴から「渡来系」と判断されました。
こうした調査結果からは、男性は朝鮮半島からやってきた人の血を引く地域の有力者、という人物像が浮かび上がってきます。



1メートル64センチというと、当時としては相当大柄だったのではないかと推測されます。



朝鮮半島からの渡来系の可能性が高いということであり、当時の半島との交流の密度を感じさせます。


 

最新の研究は、男性が育った場所の推測まで可能にしています。
人骨に含まれるストロンチウムという元素の同位体比は、その人が摂取した地下水に溶け出した地質によって異なる数値を示し、中でも歯のエナメル質のデータは幼児期の生育場所を反映しているとされています。
九州大学の田中良之教授らのグループが、これに着目して分析を進めたところ、男性の生育場所の地質は、「後期白亜紀の花こう岩類」という結果が出ました。
この地質は群馬やその近くにはなく、主に長野以西に広がっているということで、男性はよそからやってきたと考えられることが分かりました。


田中教授の研究では、さらに進んで長野の伊那谷ではないかという推測がなされ、その根拠としては、当時朝鮮半島から伝えられた馬の生育に深く関係しているのではないかということのようです。




 


以下、これまでの調査結果や専門家の見解を基にした「仮説」です。
男性は朝鮮半島からやってきた渡来人の血を引き、伊那谷で馬の生産技術を身に着けながら成長します。
時は5世紀。近畿地方の王権が勢力を拡大するなかで、東国に通じる内陸交通の整備が進められ、輸送や軍事、情報伝達に大きく役立つ馬の需要が高まります。
こうしたなか、男性は東国でさらに馬を広めるため、現地の人たちと群馬を目指します。
出来たばかりの道を東進した男性は、伊那谷と同じように馬の飼育に適した榛名山のふもとに到着。生産に成功して地域の有力者となり、その証しとも言える、よろいやかぶとを所持します。
そして6世紀初頭のある日、大きな地鳴りと共に榛名山が噴火。男性は大切なよろいを身に着け、人馬を従えて安全な場所に向かおうとしましたが、火砕流から免れることはできず、異郷の地で命を落とした・・・。

仮説にすぎないとしても、我が国の原始初期の時代において、大陸や半島を含めて、また、日本国内においても相当広範囲での人やモノの移動や文化の交流があったことはは確実なようであり、今後も研究が進み、古代史の一端がさらに解き明かされることが楽しみです。






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