「ここにたっぷりとお金がある」
「十分なお金がある」
「必要なお金がある」
心地が良いです。
これらの言葉は、心地がよいのです。
しかし、私の中の何かはこれらを否定します。
「いいや、たっぷりとないよ。」
そんな夢みたいなことを言ってないで、現実をみなさい。
ほら、財布見て御覧・・・
「ないっしょ?」
通帳見て御覧・・・・
「ね?やっぱりないでしょ?」
「がんばって増やさないとダメだよ。いろいろがんばるんだよ。」
そう言います、私の中の人は。
折角心地がよかったのに、
やっぱり、心地が悪くなる方を選ぶのです。
不思議ですね。
心地が良かったのに。
お金がたっぷりある、って心地が良かったんですよ。
でも、最終的に不快感を選んでる。
「お金さえあれば、不快感なんて選ばないんだけどなぁ」
って思うわけです。
でも、お金が先か、不快感が先か。
現実に振り回されて、
現実がそうだから、って振り回されて。
現実のパワー>自分のパワー
って感じなんですね。
自分はいつも、現実に振り回されるだけの存在。
現実に怒っている人がいたら、
私は謝らなくてはならない。
現実にお金を請求してくる人がいたら、
私はお金を支払わなくてはならない。
現実に見えるものは、
実は私が作ったものだとは思ってない。
それほど、すごいからだ。
自分のパワーがそれほどすごいから、
こんな世界が作られてるのに、
その世界に反応して、どんどん自分の空間を狭めている。
現実は、自分が作りだしたものだ。
だから、今見える現実がいやなら、
改めて、好きな現実をつくろう。
それは、「お金がある」世界だ。
「お金がない」世界はすでに存在している。
それはまちがない、それでいい。
でも、「おかねがある」世界を創れるのは、
現実じゃない、自分なんだ。
「おかねがある」
「ここにたっぷりお金がある」
「とてもいい気分だ」
「豊かさを感じてとてもハッピーな気分だ」
そんな世界を、つくってもいいのだ。
これまで作った現実は、しょうがない。
愛を持って受け入れよう。
その代わり、作ろう。
好きな世界を創ろう。
これまでの「確定したかのように」見える世界は、
あっていい。
今自分が作ろうとする、
「豊かで幸せで、ハッピーな世界」
と矛盾しない。
いまの自分のまま、
頑張らない。
そのままで、あるがままで、
この地点で、受け取ろう。
愛しています。
感謝しています。
それが気持ちいいから、
心地いいから、
選ぶんです。
もう、選ぼうとしません。
選びます。
決心しました。
自分の作る世界はもっと、うれしく、たのしく、ハッピーでいいんだと、気づいたのです。
さて、それでも、現実がうごかないとき、どうしますか?
宿題にしておきましょう。