「自分はお金の被害者だ」
「自分は人生の被害者だ」
こんな思い込みを持っていると、現実はどんどん、そのように「見えてきます」
「あ、これ、被害者って考えに合うかも」
ってエゴが思うと、どんどんそのように思えてきます。
私はお金の被害者だ、という思い込みの中に隠れているのは、
・お金は人を脅かすものだ。
・お金は簡単には得られないものだ。
など、自分はお金に脅かされている、という思い込みが見えてきます。
これって、お金の部分を「水」とか「空気」に変えてみると自分の思い込みに気づきやすいけど、
・自分は空気の被害者です。
って意味がわかんないですよね。
でも、
・自分はお金の被害者です。
ってすると、「うんうん、そうかもしんない」って気分になるから不思議ですね。ってか、そう思ってる可能性が見えてくるのです。
私はどうして、お金に寄って苦しめられるのでしょうか?
お金が自分を「苦しめた」のは事実でしょうか?
そうじゃないですよね。
私が勝手に苦しんだ、だけです。
どうして苦しむ必要があったのでしょうか?
私は、「お金」に何を投影したのでしょう?
お金はいのちをつなぐもの。
お金があると、生きていける。
でも、お金がないと生きていけない。
お金があると、プライドが持てる。
お金がないと、みんなから馬鹿にされる。
「自分のお金が奪われる」ことは、
すなわち、
「自分がおびやかされること」
というわけですね。
そう考えていきますと、「私はお金の被害者だ」という思い込みは、可笑しくなってきます。