何度もがいても、
苦しみ、不安、焦りは、ありました。
不安を消したい。
不安を受け入れたい。
もっと落ち着いて、生きていたい。
自己否定をはじめてしまう自分がいやで、
なんとかして、今いる不安な場所から、
もっと楽しい場所へ行きたかった。
不安になればなるほど、
不安は、増えていく。
不安に意識を集中すれば、
不安な自分はどんどん不安になる。
なかったことにしたい。
もう、こんな人生はヤダ。
どうして不安なんてものがあるのか、腹立たしくなったり。
いま、不安になって、
明日も、
明後日も、
ずっと不安で。
1年後も、
5年後も、ずっと不安だとしたら、
そんな人生、楽しいんだろうか?
人生は楽しむためにあったのでは?
なんでいつも楽しめないんだろう?
おかしい・・・なにかがおかしい・・・。
不安が心のほどんどを占めて、
「死にたい」とすら思う日も、何日もあった。
でも、、
そんな中で、不安が心の大部分を占める中で、
不安の隙間にあるもの。
不安と別の場所ではない、
不安がたとえ、心の全部を占めていると感じていたって、
いつでも、存在している平安。
「絶対に平安なんてない」
「絶対に静寂なんてない」
そうエゴが叫んでも、
「ある」「ない」
と叫んでも叫ばずとも、
いつも、
存在しているもの。
それは、不安になればなるほど、みつかるものかもしれない。
それは、不安になる前には、あることすら知らなかったものかもしれない。