世の中には、「したくないこと」があり、
それから逃れられた人は、幸せ、である。
そう思ってました。
自分の中に常に、行動すること、
成果を出すことが、
人生での価値のあることだと感じていたのです。
感じていたのです、と書いたのには、理由があります。
それは、「言葉にならなかった」ものだからです。
私の中に息づいてはいました。
しかし、言葉にはなっていなかったのです。
いろんなことをするたびに、なにか、
「やった」という経験、記憶、そして安ど感を覚えていました。
何もしていない日には、
なんとなく、「これでいいのかな・・・」と思うことがありました。
自分の中の観念に気づく瞬間かもしれませんね。
どこどこへ行った、とか、
こんな経験をした、とか・・・
たとえば、あと人生が二日で終わるとしたら、
そんなことうらやましくなんかありません。
いま、この人生を楽しめるのは、私がそばにいるからです。
この肉体を借りているからです。
この肉体をきれば、相対的な世界を、
壮大なゲームを、
カラクリにきづかないまま、精いっぱい味わうことができます。
でも、いま地球で、「気づいてる」人が増えてきているのでしょう。
私も、「気づき」を意識しています。
気づいてもなお、楽しく、生きることができます。
いや、気づくことで、より一層幸せでいることができるのだと思います。
というのも、気づくことは、
「苦しみ」を終えることだからです。
エゴの視点から、意識の視点にシフトすること。
怖くて怖くてしょうがない、の立場から、
怖くて怖くてしょうがないんだね、の立場に移行すること、
移行すると言っても、そんな場所があるわけじゃない。