苦しみが増えるたびに、悶絶します。


ああ、ひどい、


ああ、苦しい、


なんてひどい人生なんだ、


なんてむごいんだ、


神様なんていないぞ、


おかしな世界だ、くるってる、


そんなことやなんかを、


何度も何度も、何度も何度も、


一分一秒、落ち着くこともできずに、


そんな思考たちを自分にまとわせるとどうなるか。


死ぬかもしれない。


もしくは、


「あれ?なんかおかしいぞ?」


って思うかもしれない。


昔っから、「追われてる」感覚はあった。


追われてる、っていうことは、


「追うもの」が存在してるってことだけど。


それは、人生であり、周りの人であり・・・。


常に自分は、なにかに反応して生きてきましたから、


余計にそう思うのかもしれませんね。


誰かが私の悪口を言っている。


すると、私はそれに反応して、なにか不快な気分になったり、なにかしたくなるんですね。


思考もどんどん湧いてくるでしょう。


私のどこがいけなかったんだろう?とか、ですね。


また、私がなにか失敗したとしたら、


またその「失敗」に対して、なにかしようとするでしょう。


「今度は成功したい」ではなく、「なんで失敗したんだろう」


「成功したかったのに・・・」


「成功したかったのに、できなかった、できなかった、、」


そんな風に、自分せいで「起こした」できごとに、どんどん反応していくのです。


すると、人生は膨大な反応のかたまりになります。


こころおちつけることなんてできません。


常に、なにかに反応しながら生きている自分があり、


しまいには、


反応してなくて、落ち着いているときですら、次の「反応できるもの」をさがすようになっていきます。