四間道 (しけみち) を 散歩してきた! | eggman-movers

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人生 上り坂 最高!

 

四間道

(しけみち)

 

1700年(元禄13年)の大火の後

尾張藩4代藩主徳川吉通が

堀川沿いの商家の焼失を避けるため

中橋から五条橋までの道幅を4間(約7メートル)

拡張したのがはじまり


熱田から岐阜へつながる街道=美濃路の

1つ西側で堀川から数えて西に2本目の道


延焼を防ぐ防火壁の機能を持たせるため

通りの東側に石垣を積み

土蔵を建てることを奨励した事により

土蔵造りの並ぶ街並みが形成された


1986年(昭和61年)6月10日に

名古屋市の街並み保存地区に指定された


元々堀川の中橋から五条橋までの

西側にある地区を指していたが

 

今は街並み保存地区に指定された

南の浅間神社から

北の円頓寺商店街のアーケード入口までを

指している

 

 

炎炎炎

 

 

五條橋 (堀川)

 

かつて清洲城下の五条川に架けられていた橋を

1610年(慶長15年)に始まった清洲越しの際に

この地に移築したモノ

 

五条橋の擬宝珠(ぎぼし)には

堀川が開削された慶長15年より古い

慶長7年の銘が確認できる

 

 

 

 

石垣の上に土蔵

 

 

 

 

弁慶湯跡

 

1900年(明治33年)開業

 

戦争中には

歩兵第六連隊が入浴した

 

慶栄寺に宿舎を構えた

高砂部屋一門の力士も

入浴した

 

90数年余り

庶民の憩いの場だった

 

1991年(平成3年)

暖簾を下した

 

 

 

四間道町並み

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浅間神社

 

名古屋城築城に伴い

東桜の冨士神社を仮に遷したものが

そのまま定住して今に到っている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

炎炎炎

 

 

時々行きたくなる

古い町並み=四間道

 

今では

 

飲食店や雑貨店が増えて

おしゃれな町に変遷している

 

 

炎炎炎

 

 

撮影機材:FUJIFILM X-T1

+

LAOWA C-Dreamer 9mm

F2.8 ZERO-D