覚 王 山
日 泰 寺
日 (日本) 泰 (タイ) 寺
日本とタイの友好で
1904年に誕生した寺
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山門をくぐり
本堂を拝観し
釈尊御遺形奉安塔道から
釈尊御真骨を安置する
(お釈迦様の骨)
仏舎利・奉安塔へ向かった
(約500m)
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日泰寺 舎利殿 石碑
釈尊御真骨奉安塔 石碑
手 水 舎
手 水 鉢 を
象 が支えている
六 地 蔵
釈尊御遺形霊地 石碑
通 天 門
この奥には入れない
無念ぢゃ...
礼 拝 殿
奥に何か見える
奉 安 塔 だ
登録有形文化財
花崗岩の佛塔
高さ:15.7m
基壇:10m四方
佛教の教祖
釈尊の遺骨を
安置している
お釈迦様って
実在してたんだね
(※ 日泰寺HPより拝借)
どこからか
奉安塔が見えないか?
周りを一周してみたが...
高い黄色い塀に囲まれて
全然見えなかった
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日泰寺誕生までの経緯
1898年
英領インドのピプラーワーで
人骨を納めた蠟石の壺を発掘
壺には以下の文面が刻まれていた
この世尊なる佛陀の舎利瓶は
釈迦族が兄弟姉妹妻子とともに
信の心をもって安置したてまつるものである
釈尊 (お釈迦様) の遺骨であった
御遺骨は佛教国であるタイ国
(当時シャム) の王室に寄贈
日本がその一部の頒与を
タイ国の国王に懇願した
1900年
バンコク王宮で
チュラロンコン国王より
奉迎使節団が御真骨を拝受
京都妙法院に仮安置
御真骨をお祀りする
寺院の建立計画を協議
名古屋派×京都派の戦い
各宗派管長会議投票の結果
37対1で名古屋に決定
仮奉安所を万松寺に選定
数百名の僧侶が京都に奉迎した
名古屋市中は家毎に仏旗を掲揚
大菩提の文字を記した軒燈を掲げ
万松寺までの奉迎行列は
十数町 (1km以上) の長さとなり
名古屋市未曽有の盛況だったと
当時の記録に残っている
1904年
釈尊を表す「覚王」を山号とし
日タイの友好を象徴する
日暹寺 (にっせんじ) が完成
1941年
1932年にシャムからタイへと
国名が変更された事に伴い
日泰寺 (にったいじ) に改称した
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ちなみに...
仏舎利を奉祀している寺社は
日本全国に200ヶ所ほどあり
でも...
日泰寺の仏舎利だけが
折り紙付きの本物なのだ
※ 仏舎利 とは...
入滅した釈迦が
荼毘に付された際の遺骨
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撮影機材:PENTAX K3 Mark iii
+ SMC PENTAX-DA 14mm F2.8ED