自分の小学校時代を振り返る
娘が最初に学校に行きたくないと言い出した頃、私はよく自分の小学校時代を思い返していました。
実は私も、小学1年生の時に、学校に行きたくないと玄関で泣いたことがあります。
理由は担任の先生。おばあちゃん先生で、すっごい怖くて。しかも生徒によってあからさまに態度が違う。
私は幼心に、自分は好かれていない側だなと感じていました。
今でも忘れられないのが、授業と授業の間のトイレ休憩でのこと。トイレの中で次の授業のチャイムが聞こえて、急いで教室に戻った私。
ドアを開けようとしても、開かない。おかしい、なんでだろうとふと上を見ると…ドアの小窓から、先生が無言で覗いてて。その視線が本っ当に怖くて、泣きそうになりました。ドアが開かなかったのは、先生が内側からドアを押さえていたから
その後どうやって自分の席にたどり着いたのか、全く記憶なし…
他にもたくさん嫌な思い出があって、計算間違いした算数のテストに「おっちょこちょい!」と赤ペンで大きく書かれたり、教室で友達と話してたら「声が大きい!」と私だけ怒られたり。
私だけじゃなく、他にも嫌な思いをしている子がたくさんいて、でもそれは自分たちがいけないんだろうとみんな思っていました。
でも、親にはそのことを言えなかった。
先生の悪口は言ったらいけない、そんな風に思ってたから。
私が学校に行きたくないと言った時、母親は休ませてくれませんでした。
どうしても嫌だと泣く私に、行きなさいと怒る母。結局私は泣きながら姉に手を引かれて学校に行きました。
母はフルタイムで働いていたので、休まれては困るっていうのもあったんだろうな(と大人になってから思った)
結局私が行きたくないと言ったのは、その日を含めて3回。で、諦めた。言っても無駄なんだ、休んだらいけないんだ。
今よりずっと、学校というものが絶対的な存在で、行って当たり前、行かないなんて選択肢はなかったように思う。
娘にこの話をして、「ママはあの時休みたくても休めなかったんだよ。泣きながら行ったんだよ。でも、あの時休まなかったから、その後もずっと学校に行けたし、楽しいこといっぱいあったし、行って良かったよ!」というと、「ママはママでしょ。私は違う」と言われてしまいました…まぁそうなんだけど。
私は母が大好きで、母が喜ぶことが自分にとって一番嬉しくて、そのために頑張るっていう子どもだったので、「私は私よ」「ママはそうかもしれんけど、私は違う」とはっきり言える長女は凄いなぁと思います。
でもこんなにはっきり自分の意見を言えるのは、家族の前でだけ。外では自分を出せない長女…出せたらもっと違ってくるのに。
私はあの頃の嫌な思い出があるから、本当に行きたくない理由があれば、学校を休んだっていいと思いつつ、そこを乗り越えたら一歩前に進めるんじゃないかなとも思うのです。
あの頃のことは今思い返してもすごい嫌な気持ちになるし、先生に対しては、小学校に入学したばかりの子どもにもう少し優しく出来なかったのかな、と思ったりする。
でも、いいか悪いかは別として、そんな先生の態度にも慣れてくるんですよね。小学2年生になる頃には、おばあちゃん先生の嫌味も聞き流すことが出来てた気がする。
中学校以降は、こんな先生いたよね〜なんて友達同士でしょっちゅう話題にして笑ってました。
まぁでも、私は私で、長女は長女。
長女は、繊細で傷つきやすい、はっきり言えば、困難に立ち向かう力が不足しているともいえる。
でも、子どもって自分で問題を解決する能力が備わってると思うんです。
もし自分の力で再登校できれば、次に何か困難なことに出会っても、それに立ち向かうことができると思っています。
そのための力を育てることが、今の長女に大切なこと。
私もそのことを心に置いて、長女と向き合っていきたいと思います。
それはそうと、そのおばあちゃん先生に関してもう一つエピソードがあって。
私が大学に入学してすぐ、母から電話が。
「今日〇〇先生に会ったのよ、バスで。覚えてる?先生、『娘さん、元気ですか?新聞で名前見ましたよ。勉強頑張っていい大学に行ったんですね』っておっしゃってたよ」
正直、私の名前を覚えていたことと、母のこともよく分かったなってことにびっくりして。
先生も大分おばあちゃんになってたらしく、小学1年の頃の先生を思い出して、なんとも言えない気持ちになりました。
先生の嫌な印象ばっかり強烈に残ってるけど、いい面もあったのかなぁなんて思ったり。
だからといってあの記憶はなくなることはないですけどね。