2人目治療の移植③周期の化学流産の記録です。
化学流産は3回目です。
経過が長くなってきたので、今までの治療をまとめてみました。
2019年夏〜2020年3月
近所のクリニックでタイミング法6連敗
2020年8月〜10月
リプロに転院、人工授精3連敗
2020年11月
採卵①
2020年12月
移植①→化学流産
2021年1月
採卵②
2021年4月
移植②→妊娠、出産
2023年6月
2人目治療開始(まずは保険で)
子宮内膜炎+→治療
2023年9月
移植①→化学流産(2回目)
自費に切り替え
着床の窓ズレ・子宮内膜収縮・子宮内フローラの検査が引っかかる
子宮内フローラがなかなか整わず、オーグメンチン60回内服で再々々検査はせず
2024年3月
移植②→陰性
2024年4月
移植③→化学流産(3回目)
2人目治療でまさかここまで苦戦するとは…!
今後の戦略については前回の記事の続きとして別の記事でまとめようと思います。
以下、4連休にモロ被りだった今回の化学流産の経過です。
※一部に生々しい表現が出てくるので一応閲覧注意です
先週月曜日の再判定日の朝で内服終了し、水曜の夜からたまにうっすら出血があり、本格的に出血がはじまったのは木曜の夜から。
本格的な出血とともに腹痛もはじまりました。
ずっとじゃないけど、たまにものすごく痛い。
旦那には「痛み止めあるよ」と言われ続けていましたが、ずっと痛いわけではないので内服せずに様子を見ていました。
ベッドに入ったあとも時々痛いので、リビングでパソコン仕事をしていた旦那を呼んで、ちょっとお腹さすってほしいとお願いしました。
そしたら
痛み止め飲めばいいじゃん!
飲みなよ!持って来ようか?
と、強い口調で痛み止めをやたらと勧めてくる。
いいから今はお腹さすって
と再度お願いすると、
だからなんで痛み止め飲まないの?
と謎の逆ギレ。何キレてるの?と聞くとキレてないと答えるけど、頑としてお腹をさすってくれない。
朝まで6時間さすり続けないといけないの?
だの、
息子くんと寝ないといけないから
だの、グダグダ言ってくる。
(いや、朝までさすり続けろとか一言も言ってないんですけど?
あと普段は息子が1人で和室で寝てても夜更かしして仕事してるじゃん。こういうときだけダシに使わないでもらえます?
何なのこの人?話が通じなさすぎて怖い。)
と心の中でツッコミながら、ちょっとでいいから「今」お腹をさすって欲しいと明確にお願いしたのですが、
いいから痛み止め飲みなよ
と言って、なみなみとお茶が入ったコップと痛み止めを枕元に持ってきました。
(心配してくれてるのは分かるけど、だからなんでお腹さすってくれないの?
あとマットレスにお茶がなみなみと入ったコップを直置きしないで危ないから)
話がかみ合わず、頑としてお腹をさすってくれない旦那に何だかとても悲しくなってしまって、
再判定でダメだったと分かっても泣かなかったのに、こんなくだらないことで大泣きしてしまいました。
夫婦2人の子どものために治療がんばって、その結果3回目の化学流産になって、今こうして私が苦しんでるというのに。
そう思うと悲しくてたまらなくなって、旦那のことを責めるつもりはなかったけど、
誰のためにがんばってると思ってるの?
とつい泣きながら言ってしまいました。
ランちゃんだって2人目欲しいと思ってるでしょ?
と、旦那。
いや確かにそうなんだけど、やっぱりなんか会話が噛み合わないんだよなー。
話にならないのであきらめて無言で泣き続ける私に根負けしたのか、旦那が数分だけお腹をさすってくれました。
さすってもらうとやっぱり楽。ありがとう。
泣きながら寝て、朝目が覚めたら右目が痛くなってました。
鏡で見たら下瞼が腫れてて、眼科医じゃなくても分かるレベルで分かりやすくいわゆる「ものもらい」になっていました。
強いストレスがかかると、たまになります。
大体数日で勝手に治るので眼科にかかったことはありませんが、過去1番の腫れと痛みで連休初日は最悪の幕開けとなりました。
↑いつもながらしょうもない夫婦ゲンカの記録、お目汚し失礼しました。
化学流産の記録に戻ると、大量出血は金曜まで続きましたが、土曜日には少し落ち着いてきて、月曜日にはほとんど出血はおさまりました。
体感としては、
最初の勢いは強かったけどトータルの出血量としては普通の生理とそんなに変わらないかな
と言った感じ。
腹痛も金曜までで。
本当に、最初の出血と腹痛が強めなだけで、あまり普通の生理と変わらない感じでした。
・出血とともに謎の組織が出てきてビビった初回の化学流産
・3日間ぶっ通しの大量出血の後に3日ほど動けなくなりメンタルも落ちた2回目の化学流産
という過去の経験から、かなり構えていましたが少し拍子抜け。
判定日のhcgは今回が1番高かったけど、上がりがゆっくりだっただけでもしかしたら着床度合いは1番浅かったのかな?
と、勝手な想像ですが思いました。
ただ、倦怠感と無気力は今回も症状としてそこそこありました。
土曜日が1番強かったです。
土曜日は朝、旦那が謝罪しに実家に来ました。
(旦那の顔を見たくなくて、金曜は私と息子で実家にお泊まり)
この頃には私もまたくだらないことで怒って泣いてしまったなと冷静になっていたし、仲直りはできたのですが、とにかく体が動かない。
旦那が息子を動物園に連れて行ってくれましたが同行する気力がわかず。
さらに旦那が今日は実家で1人ゆっくり泊まるといいと言ってくれたので、お言葉に甘えて息子抜きで翌朝まで実家で羽を伸ばさせてもらいました。
以前の私なら、
母親なのに息子を人に任せっぱなしで…
とか思って落ち込んだと思いますが、前回の化学流産の時の反省を踏まえ、今回は割り切ってグジグジ考えないようにしました。
私が勝手に落ち込んでも落ち込まなくても現状は変わらないし、実母も旦那も息子と楽しく過ごせてるからいいや、と思って。
気の持ちようって大事だと思うし、こういうふうに思えるようになったのは進歩だなと思います。
土曜日から日曜の朝まで実家でゆっくりさせてもらったおかげで日曜の朝には回復し、日曜・月曜と連続で親子3人でお出かけを楽しめました。
以上、多少の波乱はありましたが旦那と実家のサポートのおかげで無事に乗り越えられた3回目の化学流産(と4連休)の記録でした。
実家で1人ゆっくりしている間、翻訳の作業がめちゃくちゃ進みました。
心身の調子が多少悪くても進められるのが翻訳です。
0から何かを生み出す執筆は心身の調子が整わないと難しいですが、翻訳は大丈夫。
作家以外に翻訳家もやっててよかったと思うのがこういうときです。
本当は心身の調子が安定しているのが1番なのでしょうが、人間だし波があるのは仕方ない。
不妊治療してるとなおさら。
納品まであともう少し、がんばります。
余談ですが今日、医師業の方でショックなことがありました。
患者さんに手首を強くつかまれて思いっきりひねられました。
暴言を吐かれたことはありますが、こういう物理的なのははじめて。
かなり衝撃でした。
詳しい事情は書けませんが、患者さんは決して悪くなく、強いて誰が悪いかと言うとそんなことをさせてしまった私が悪いのだと思います。
うまく対応できなかった自分の未熟さや、この仕事をしている以上避けられないリスクといったものを改めて思い知らされました。
フリーランスにはなりましたが、まだまだ精進しないといけないなと思いました。