母の母の命日。

私は会ったことのないお祖母様。

モーニングの後、車椅子を押して墓参りに行きました。

地元なんで歩いて5分ぐらいのところ。

隣室で眠る母が「お母ちゃん」と寝言を言うことがある。

すっかり歳老いた母..

 

 

『神は外にいて仏は内にいる』これは私の基本認識。

だから神社に行くのは知り合いの家に遊びに行くようなもので、楽しみがある。

お寺は実家に行くようなもので、本堂に座っているとある種の安堵感がある。

 

家の神棚、仏壇も同じですが、

神棚はただそこにある。

三社を下げ榊を置いているが、神鏡や石のようなものは置いておらずその意味では神棚ではなくお札置き場。

そこに神や眷属が来てくれていれば嬉しいが、いなくてもそれは構わない。

私が目に見えない世界を思い遣る場所。

通勤時、熱田神宮のすぐ横を通り抜けるが私は毎朝「おはようございます、今日も一日よろしくお願いします」

帰りは「今日も一日ありがとうございました」と呟く。

その声が届こうが届かまいが関係ない。

それこそ私が思い遣れれば良いこと。

 

仏壇の前に座っていると不思議な安堵感がある。

仏壇は箱だから、中央に配する阿弥陀如来の背後は金箔に螺鈿が配されているが平面。

でも不思議な奥行きを感じる。

そこに異世界があるような錯覚..

 

私はよく上界と内側という表現をする。

こんな風に思い始めたのは高校生ぐらいのころ。

大学1年には自覚していた。

ただ最近までは別ものだと思っていた。

 

神仏習合..正しく理解しているかはわかりませんが。

この年末年始に神と仏、上界と内側というのは表裏のもので同じものじゃないか?

と思うようになった。

神も仏も内に存在し、外にある。

まだうまく言葉になりませんが..今年のテーマかな。

 

 

新春よりのお客様(びわの花)
 

 

これはあくまで私見ですが、

大阪あたりから琵琶湖、能登半島につづくラインのあたりはまだまだ地震がつづく気がする。

阪神淡路大震災と似たライン、まだ数年というイメージ。

備えとともにお気をつけ下さい。

 

 

追.ここにきて近畿地方の活断層の集中する地域注意という記事が見られるようになりました。私もそう思います。