先ずここで何故、私が「オレ」でなくて「ボク」であるかというと、この話は、私の少年時代にまで遡るからに他ならない。



まあ、一番“凄い”ところから入れば、エリアの小学校が一学年50名10組もあった高度成長期末の横浜の新興団地に、小学校3年の10月に引っ越して来た。51平米3DKの当時としては、若干小さめなら平均的サイズに属する団地の5階建の4階である。南面3室あって日当たりはよい。



そこでは、兄貴とオレとには「二人一部屋」である「子供部屋」が与えられた。殆ど外で遊んでおり且つまだ生殖機能を持つ前の自分らにとっては「二人一部屋」で全く十分であった。それどころか「2DK」から引っ越してきたので、最初は何と大きくていい家なんだろうと思っていた。「こっちにも部屋があるんだよ!」… 更に、その団地は、上り坂に加えて、百段の階段を上らないと上がれない高台にあったが、当時の自分は、自宅が高いところにあって“偉い”と思っていた。



そこへ「バアちゃん」が、舞い込んできた。



このバアちゃんは、1/4英国人であって若いころは超美人、私が一度も会ったことのないM銀エリートの祖父に戦時中に先立たれて且つ残された多額の遺産をキャッシュで持っていたため、それを敗戦で紙くずにしてしまった経歴を持つ。その後、薬剤師や家政婦として長らく生きて来たのだ。ところが、脳溢血をやってしまい、先ずは、上記我が家の団地から徒歩10分ほどの傾斜地にあって道路から2階へ直接入れる6畳一間2畳キッチンのアパートに引っ越して来た。冬には、コタツがあって、何度か一人で訪ねたものである。金はなかったので、お小遣いはもらえなかったが、お菓子は食べさせてもらえた。


その後、バアちゃんは、スーパーダイエーの脇を通った際にトラックの荷が崩れて、その下敷きになり、腰の骨を砕いてしまったのだ。年をとってからの所謂「複雑骨折」であり、場所も極端に悪かったので、最後まで治らんかった。

病院にて、一応最終的(?)に、大腿骨と骨盤とを針金で直接固定してしまう治療をし、それ以降は、よく言えば「杖必須」、悪く言えば、寝たきり老人になった。その形で、「バアちゃん」が、舞い込んできたのだ。ちなみにダイエーの下請けだった加害者は、貧乏だったこともあって、泣き喚いて責任逃れしてしまったそうで、賠償金の類は殆ど入ってこなかった。「ボケッと歩いていたからだ」とか「あの人はいつも下敷きになり易い」とか、母親は何百回も怒っていたが、寝たきり老人の入浴作業が偉く大変なのは、少年の目にも明らかだった。また、バアちゃんの裸や母親の裸を見てもいけないので、入浴作業を手伝うことは一度もなかった。



さて、問題は、我が家は「3DK」であったのにも拘わらず、そのバアちゃんを収容する部屋を、私と兄貴との「子供部屋」にしてしまったことだった ……… 今思うと、そのバアちゃんの娘である、私の母親が、私の父親に対して極端に遠慮したからだろう。或いは、間取りからして、DKから、短いながら廊下を隔てた「子供部屋」に押し込めたかったのだろう。何しろ、詳しくは述べぬが、汚物処理用のバケツなども必須アイテムであったからな(そもそも、老人問題では、文章では決して表現できない臭い・臭さが、常につきまとうのだ…)。



学習デスク二つ、スチール製本箱二つ・木製本箱一つ、整理ダンス2つ、洋服ダンス1つ、押入れダンス2つ、2段ベッド一つ、14インチの赤いテレビ一つ、そして寝たきり老人1名が、兄弟2名と共に、6畳一間(押入れは一軒)に入る運びとなった…。オレが小学校5~6年の時である。。。。。。 おい、幾ら外遊びが好きだとは言え、これは正直狭いじゃないか!?  部屋の入口から自分のデスクまで3メートル行くのに、小学生でさえ、体を横にしないと、しかもジグザグにいかないと、通りぬけ出来ないじゃないか!?!



中学校になると、午後3時過ぎから部活動、その後は夕方からゲーセンへ行くのが日課という忙しい日々だった。ので、あんまり家には居着かなかったが、事態が自然に好転する筈もない。試験前などは、その部屋内のデスクで“勉強”しなければならないではないか!? 何しろ、狭いこともあって、頭の70cm後方には、兄貴の頭があり、90cm斜め後方には2段ベッドの下段に常駐する「バアちゃん」の頭が常時あるではないか!!??



更に悪いことに「ミュージシャン」を目指していた兄貴が年がら年中、ギターを弾いているではないか?!! ギターの位置は、頭の70cm後方より更に近いじゃないか!!! ギターを揺らすと、その先っちょが頭をかすめるじゃないか!!!


頭の真後ろでギターがジャンジャンなっている中で、常に常に常に怒りながら勉強をやった。たまに兄貴から「おめえ、うるさくねえか?」と普通に聞かれると、何時の間にそう育てられたのか「うるさくねえよ!!」と怒鳴り返していた。人のことなど何処吹く風タイプの兄貴(※ 長男は一般に、出産時に産道を通り抜ける際に頭が圧迫されて、何処吹く風タイプになりやすい(兄貴もピーナツ頭)と未だに確信している)は、こちらが怒鳴ることで意思表示をしているにも拘わらず、「そうか」とだけ静かに言って、またギターをジャンジャン始めるのだ。。。。



他方、バアちゃんは、寝たきりながら、頭はさえていたので、常にヒマ、こちらの様子をうかがっているのだ。特に、こちらが勉強中にはテレビを消してくれるので、なおさらヒマなのだ。その分、興味は自らの孫らに完全に向いていた。例えば、オレのデスク上のお茶の入ったコップが倒れようものなら、オレが声を出すより前に「おうおう!」と斜め後ろ90cmのところから声がするのだ!!!(一応、カーテンが、バアちゃんの寝ている2段ベッドの下には引いてあったが、隙間が開いておるじゃないか!)。勉強中に調子が出て、こちらが無意識に鼻歌でも歌うなら「上手だねえ」のなんのとコメントなんかが入るじゃないか!!…。おいおい、これでは“勉強”に集中できんじゃないか!!“勉強どうすんだ!勉強??!!”


常に常に常に、脳みその約70%で「もう少しよい部屋を与えられたら、俺の成績は飛躍的に良くなる筈なんだ!!くっそううゥゥ!!」四六時中、常に大声で叫びながら(但し、実際には人が近くに何人も居るので、心の中のみで大声で叫びながら)、残りの30%ほどの脳みそにてのみ、文字通り鞭打って勉強した。「心頭滅却すれば火もまた涼し」とは、おそらくウソであり、火を我慢しながら、心頭滅却に見せかけているだけに違いない。それに、詳しくは語らんが、寝たきり老人には汚物処理が必要なので、ここでの話の全ては、昔あった非水洗便所と同じような匂いの中での話であるのだ。。。

(※ なお、そんな時期を含めて中学3年間の成績表は、延べ81欄が一つ残らずAであったのは、奇跡に近く、自分でも、もう二度とできない)


更に更に悪いことには、その間に、思春期と言うか、マスターベーション、オナニー或いは自慰と呼ばれる“マスター行為”をする年頃を迎えるしかなかったのだ。やる場所がないどころではないではないか! 一体全体どこでやれというのか!!?! 兄弟二人部屋なら一方が居ない隙を狙ってやるのが一般的か、又はまあ兄弟だからまあ見てみぬ振りでもすりゃ済みそうであるが、常にバアさんが陣取っているんだぜょ!!!! 一体どうすりゃ、いいんだ!! 健全なる青少年の育成なんかこれではムリではないか!!! チ○ポ育たにゃ人類絶滅だぜよ!! どっかに花の香りのする自室へ誘い込んでやらせてくれる、やさしい姉ちゃんおらんのか!?? 恵まれない少年に救いの手を!! … 心の中でどんなに大声で叫んでも誰にも聞こえるものではない。 今日における私の何物にも屈しない精神力(?)は、少なくとも部分的には、そのころ鍛えられたもののだ。。。



中学3年の9月に引っ越した。木造2階建ての延べ床約95平米の「3LDK一戸建」だ。



森を大規模開発したニュータウンの初期だったので「一戸建て」ながらも、不動産価格が安くてよかったのだ!! 即ち、価格自体は、お買い得と言えたのだ。



しかしながら、何と、最寄の中学校が存在していないではないか!?? 30分ほど谷や川に沿ったり造成地を突っ切って歩いた「バス停」から、勿論「バス」に乗って、もともとの中学校へ通う嵌めになったのだ。雨でもふれば、造成地はグチャグチャ、靴が土の中に嵌ってしまう(おい、何処の国の話だ!)。バスは二系統あって、数十分に一本ずつ、片方の系統だと、バス停は更に遠くて45分も歩かねばならないじゃないか!?


しかも、バス停からの道はいずれにしても、夜になると文字通りの真っ暗、特に、舗装された道ながら、森の中を抜ける道部分は、本当に真っ暗闇、何にも見えない。目を開けているのかかつぶっているのかも分からない。その時、仮に、この世に「お化け」が居れば、間違いなく見える筈だと思って見ていたが、結局、一回もお化けは見えなかった。但し、お化けなら所詮は透明なので一応よいとしても、こうも真っ暗だと、変質者が刃物でも持っていきなり飛び掛ってきた場合に、対処できない。そこで、この暗闇を通る際には、右手のヌンチャクを構えて通ることになっていたのだ。。。



さて、そうは言っても「3LDK一戸建」、今度は広い。



バアちゃんの部屋が一階(一人部屋)となり、2階における8畳一間のフローリングされた洋室にて、例の兄貴と一緒の二人部屋になった。さすがに「広さ」のありがたさを痛感した。また、部屋内における匂いも当然ながら見違えるほど良くなった。まあ、兄貴は、ミュージシャンを未だに目指していた関係で、ギターの個数が増えて、今度は、エレキギターやエレキベースまで鳴り出したが、大して気にならなかった。星一徹が星飛馬にくっつけた「大リーグボール養成ギブス」のように、耐久力は、負荷に比例して増大するのだ!



このため、引っ越した後は、奇しくも高校入試の第一歩となる、ア・テストなるものが僅か数ヵ月後に控えていたが、その8畳一間の兄貴のギターを聞きながらの子供部屋でも、勉強が捗るようになり、3ヵ月後にはクラスで一番になることができた。それと共に“マスター行為”を、機を見て同部屋内で行うことなども可能となり、これも個人的にはかなり助かった。



この「3LDK一戸建」への引越しでは、「バス停」が遠いのは、如何ともし難かったし、少年の熱望する「自分の部屋」は得られなかったものの、それでも、少年にとっては、地獄から天国へ行った気分であったのだ。。。。



と言う訳で、少年は、天草四郎の呪いなんぞよりも遥かに強く、「不動産」について強い執念と思い入れを持つようになったのだ。



※ 但し、この話は、映画のようにハッピーエンドには中々収まらず、その後も、まだまだ、耐久力を高められる羽目になった。(長いので「その2」へ続く)。




現在の自宅からの庭の眺め=池の上にサクラ(元M商事会長宅)☆本日撮影じゃ:


IQ200金持ち兄さんの金!金!金!の話-現在の自宅からの庭の眺め(元M商事会長宅)