遅ればせながら「明けましておめでとうございます」・・・・

 あまりめでたくもないので小声で言います。

 

 多分、今年はちっともいい年にはならないでしょう。ウクライナ戦争は終わらないと思います。何たって、あのナポレオンとヒトラーを追い払ったロシアのことですから。一方、ウクライナだってここで引っ込むことはないでしょう。負けたら永遠にロシアに食われ続けるのですから・・・。スラブ民族というのは本当に粘り強い人々です。昨日のことなど、さっさとなかったことにして忘れようとする日本人とは違います

 

 ウクライナ戦争が終わらないと、世界は不安定さが増すばかりで、いい方向には向かないのは分かり切ったこと。そのあおりで日本も上昇気流には乗らないと思います。景気が良くなることはないのではないのではないでしょうか。だって、散々、新自由主義に憧れ、失敗し続けの経済政策をやめない自公政権が居座っているのですから。岸田文雄というのは、もしかすると安倍・菅以上の悪党として歴史に名を刻みそうです

 

 そういえば、岸田が「異次元の少子化対策」に取り組むそうです。安倍と黒田東彦が「異次元の金融緩和」をし続けた結果、国民一人当たりのGDPで台湾も抜かれたと聞きました。いかに「異次元」という言葉が非現実的なのか、私たちはもう気づいていいのではないでしょうか。

 

 ところで、宮城県知事・村井嘉浩は年頭のあいさつでこう言い放ったそうです。

「・・・(部下職員)は常に、特定の誰かではなく、その他大勢の県民の顔を思い浮かべて決断してください・・・」こんなの当たり前です。憲法にちゃんと書いてあります。もっと、言えば「その他大勢」とは、それに該当する県民に失礼でしょう。たぶん私のその中の一人ですけど。

 

 で、問題はその次です。

「・・・私は(意見が分かれる問題でも)反対の声があっても、それが将来の宮城にとって必要だと思うなら、逡巡せずに前に進みたいと思います」だそう。

 まったく理解不能ですし、迷惑です。

 

 部下に対しては県民の声を聞けと言いつつ、自分は「私の考えに反対する声があっても聞きませんよ」と宣言しているのです。こんなだから、女川原発再稼働に関する県民投票にも賛成せず、どう見たって避難できない避難計画を立案したりしてきたのもうなずけます。彼が耳を傾ける県民の声とは、彼を支持する県民のそれということです。確かに、知事の椅子は県民によって与えられたのですが、そこでいう県民とは自分に投票した人のことではありません。村井嘉浩はそういう民主主義の基本が分かっていません。

 

 さてもう一人、石巻市長・齋藤正美は、昨年末、市内で合併前の各旧町にある支所の長の職階を降格させました。ただでさえ、支所の課の統合・縮小、職員削減を進め、その機能を低下させてきました。今回の支所長降格で、支所を通して本庁に上げられてきた住民の意志は届くことは少なくなり、旧町の住民に対する行政サービスは大いに低下・貧困化するでしょう。石巻市における周辺部の切り捨てが本格化したと言って過言ではないと思います

 

 今年の世界、日本、宮城県、石巻市にとって、いいことは本当に少ないでしょう。しかし、絶望したって仕方がありません。この期に及んでも“昔(戦前)は良かった”的な与太話に“No”を突き付けながら、したたかに生きてやろうと考えています。

 

・・・・今日のBGMは“Ozark Mountain Daredevils”の「It‘ll Shine When It Shines」、年頭ぐらいは穏やかなメロディーに浸っていたいですな。