今朝のNHKの「アサイチ」では、またも首をひねらざるを得ない言葉を聞いた。テレビドラマで主人公の女性の職業を3つ挙げ、その共通点を聞いていた。聞かれた華丸さんの答えは「女性が少ない職業」・・・正解。で、問題は次のアナウンス・・・

「そうなんです。で、それは“ドラマの世界だけのことではないんですよ”・・」だそう。

 それは絶対違うと思う。逆だ。

 

 現実の世の中がそうだからドラマの設定もそうなっているのであって、その逆ではない。ドラマは現実を写す鏡に過ぎないのだよ

 NHKはまだ分かっていないな。

 

 今年、あっけにとられたことの一つは、自民党杉田水脈がまた当選してしまったことだろう。衆議院比例区中国ブロックで自民党に入れた人々は恥を知るべきだ(三原じゅんこじゃないけれど)。願わくは杉田が国会でたくさん質問に立って、かつてのように女性蔑視、人種・マイノリティー差別発言を繰り返して欲しい。

 そして女性議員をことごとく“おっさん化”させる自民党の腐敗ぶりを証明して欲しい

期待している。

 

 伊藤詩織さんに対し、安倍晋三のコバンザメ・山口敬之が強制性交したとされる事件に関し、裁判所は伊藤さんを中傷したとされたはすみとしこらに損害賠償を命じた。はすみとしこはかつて、アフガン等からの難民を中傷する「そうだ難民しよう」というヘイト作品を書いた。あまり使いたくはないが、これこそ「日本人として恥ずかしい」ことをした人物だ。この判決は当然のことであって、この国の司法もまだまだ捨てたものではないのかもしれない。後は山口を被告とする第二審で東京高裁がごく常識的な判断を下すことができればいいのだが・・・。

 

 一方で、ジャーナリストの安田菜津紀さんが自身に対するヘイト言論で訴えていた犯人が起訴された。ようやくといった気がしないでもないが、警察もそれなりに頑張ったのかもしれない。が、もっとしっかりやるべきだ。

 

 高橋久仁子氏「フード・ファディズム」という本がある。基本的には、食に関わる誤った認識を指摘してくれるいい本だ。中にこんな一節がある。

「・・・『男の料理』と男を強調する料理番組や本があるということは、何も言わなければ『女の料理』なのか。」

「・・・食材宅配業者のチラシ広告には『メニューと食材のセットでお母さんの夕食づくりを応援します』とある。未だに『食事作りはお母さんの仕事』と信じて疑わない事業者の感覚を疑う。」

 そしてこう締めくくられる。

「・・・味にジェンダーを持ち込むことは、嗜好差は個人差であることを忘れさせ、『男だから・女だから』という性別集団への帰属を強制させる。」

 高橋氏は続けて言う。

「・・・『男のくせに甘いもの好き』『女のくせに大酒のみ』と非難したがる雰囲気も、男性であれば飲酒を強要される風土も残る。いわゆる『イッキ飲み』で死ぬのは男子学生であり、女子学生が死んだという話は聞いたことがない。」

 高橋氏はちゃんと男性の生きづらさも理解しておられる。氏の論がいかに公平なのか分かるだろう。

 

 レベッカ・ソルニット氏の新刊「私のいない部屋」(左右社)を読んでいる。相変わらずの切れ味、圧倒される。

 

 なぜ、銀行やクレジット会社は「秘密の質問で“母親の旧姓”を要求する」のか?

 なぜ、人間は集合的に人類“ManKind”と表現されるのがお決まりなのか?

 なぜ(アメリカだけかどうかは分からないが)場所につけられる名の由来になるのは男(だいたいは白人)であり、女ではないのか?

 なぜ、新しく始まるテレビシリーズの中には惨たらしく痛めつけられ、殺され、解体される女をめぐる話がいくつもあるのか?

 そしてレイプや殺人や加害行為は昔のバラッドにも満ち満ちていたし、ポップソングにおいても、ジョニー・キャッシュからローリング・ストーンズやエミネムに至るも違いはないと断ずる

 

 ソルニット氏が放つ問いの矢に私は答えに詰まる。ソルニット氏は、彼女は夜間にストーカーやレイプ犯と思しき男にしょっちゅう遭遇していた時期を“戦時下”と表現している。こう書かれて、思わず正座したくならないとしたら、それは余りにも鈍感に過ぎるのではないか? 男性諸氏よ!

 

・・・今日のBGMは“秋吉敏子トリオ”の「Tоshikо Akiyоshi」、いい音楽に性別など無意味だ。