くそくらえ節(正しく疑える姿勢を持つこと)
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西沢知樹:
神戸のオフィスから・・・
先日、私が70年代くらいのフォークソング好きで、ウクレレ発表会の打ち上げでその話題で先輩方と盛り上がったという話を書きましたが、その後勢いがついて帰宅後にいくつか当時の有名曲をあらためて聴いてみました。時代背景を考えると、当時の反戦、反政府的なメッセージのものが多く政治思想的には今の私自身のものと異なりますが、しかしながらとてつもないエネルギーがあることにあらためて気づかされます。
ある日聖なる聖職者 信者の前でお説教
この世でがまんをしていれば きっと天国行けまっせ
ウソこくなこの野郎
こきやがったなこの野郎
見てきたようなウソをこくなよ 聖なる神の使者
(「くそくらえ節」 岡林信康)
言葉づかいは若干行き過ぎかもしれませんが、今の時代、逆にこういうエゲつないくらいに批判的、攻撃的な(笑)歌詞から学ぶことは意外と多いと思います。というのも、今は当時と逆に「素直すぎる」人が多すぎると感じるからです。たとえば納豆を食べたらやせる、というデマでスーパーから納豆が消え失せたのが10年ほど前だったかと思いますが、科学的と言えない疑似科学や、医学的な根拠のない民間療法的な代替医療などを、自分の頭で考えて検証しないでそのまんまいとも簡単に鵜呑みにする人が増えているように思うからです。
「どこそこを揉んだら病気にならない」
「なになにを食べれば不妊は簡単に治る」
「あそこのパワースポットはうんぬん・・・」
もちろん、信じることで元気が出たり、やる気が出たりするなら個人の自由なのでしょうし、生活の端っこで役立てるくらいなら構わないかもしれません。けれど、そこに至るまでに、自分の知性による検証が全く入っていないとすれば、それは一人の人間として自分に対する責任を放棄しているような、非常に危険な印象を受けます。
私自身、代替医療やスピリチュアル的なものを全否定しているわけでなく、部分的に自分の毎日に取り入れているものもありますし、そういったジャンルの活動をしている友人もいます。しかし、どのようなものであっても「本当にそうだろうか」と1度は疑って考えてみる姿勢は常に持ち続けているつもりです。
いわばこれは、健全に疑う姿勢、とでも言えるかもしれません。何かに対して、1度は科学や論理、常識的な知識を当てはめてちゃんと考えてみるということです。その上で初めて、直感等が役立つのだと思います。
情報を、健全に疑う姿勢を持ちましょう。そして、常識的な思考や一般的な知識をすぐに全否定してしまうことのないよう、慎重に疑える自分を忘れないでいたいものです。
西沢知樹
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