3/31に母が亡くなりました。



母は肺の希少癌を患っていました。5年生存率10%以下の難しい病気。診断されて4年間、大学病院で治療を続けていましたが、今年の初めに遂に出来る治療がなくなり、緩和ケアを勧められました。



3月初めに余命は1〜3ヶ月と言われていた母。



輸血の為半月緩和ケア病棟に入院し、20日に退院して自宅療養。



ベットをトイレに近い位置に変えて、手すりも追加でレンタルしたとの事。訪問看護も毎日来る状態での自宅療養。



遠方に住んでる母の姉が27日まで来てくれてて、次は4月の初めにある用事済ませたらまた来てくれる事になっていて。



実家へは車で1時間の距離があり休みの日しかいけなくて21日、26日と会いに行き、26日の様子を見てしばらく仕事休んで行く事を決めました。



幸い春休みで息子の学校は気にしなくてよかったので、27日に職場に相談して28日から子供達を連れて実家へ。



食事(と言ってもほとんど食べられない)の準備やベット上での姿勢を変えるの手伝ったり、トイレに行く時の移動の手伝いや肩や足のストレッチしたり。



オムツもポータブルトイレも断固拒否した母は、亡くなる前日までトイレに行っていました。尿量がとても少なかったので長くないのは感じていました。



日に日に弱っていく母でしたが、それでも少し話ができる時もあったし、母の思いも私の思いも話し合う事が出来ました。



殆ど食事が取れなかったのに、スムージーを作った時だけはほぼ一気飲みで。もっと作ってあげたかった。




31日の昼前に状態悪くなり訪看さんに来てもらって、救急車で病院へ。訪看さんには病院着くまで持たないかもと言われていたけど病院到着したら緩和ケアの主治医が待っててくれて、先生の「わかりますか?」の問いかけにしっかり頷く母。




緩和ケア病棟に直接入院する事ができ、兄弟も直ぐ病院に着いて。弟は仕事着のまま飛んできて。




夕方静かに息を引き取りました。




通夜、葬儀とバタバタと見送り、生前片付けができていなかった身の周りの物だけは私が片付けようと思っていたのでそれをして、週末家に帰りました。




まだ本当に居なくなった実感がなくて、また実家に行けばあるんじゃないかな?と、思ってしまいます。




まだまだ生きていて欲しかったって思いと、病気が本当にキツそうだったのでもう苦しまなくていいねって思いと両方あります。



病気にならずに元気だったらもっともっと生きて欲しかった。



娘のランドセル姿も息子の制服姿も、何ならひ孫まで見て欲しかった。




もっと話がしたかった。


  



寂しさでいっぱいです泣くうさぎ