笑顔の会 (東日本大震災の復旧を支援します) -142ページ目

第2次支援活動 報告

3月21日の第1次支援隊の帰郷後の現地の

様子を聞いて、即座に決起。

約一日半、物資集めに専念。


酪農家の瓜生くんが、牛乳を届けたいと言ってくれて

まさに、私たちの活動にぴったりの支援物資だと思いお願いした!

いろいろな、物資が北勢市場に集まり箱詰め作業を行った!

物資の支援は、バラバラでは困るという意見は、今回の

みなさんの気持ちを込めて限りなく箱詰めして持って行きました。

しかし、やはり気持ちは嬉しいが被災地でバラバラなのは困ると

いうことは、ここでお伝えさせていただきます。


3月23日夜8時半、積み込み作業完了後、

四日市北勢市場を出発。

溝口泰司(福村屋)、森 健(ゆるりら)、清水万平(太平洋建設)

の第2二次支援隊の3人は、宮城県石巻小学校に向かった。

そこで非難生活している方は、1500名。


物資は搬入されているが、水道もなく、火をおこす事もできず、

食べれない状況を目の当たりにした。

結局、そこには食材をおろすことができなかった。

プロパンガスを持参し、参上すればよかった、とつくづく思った。

やはり、まったく情報はバラバラであることがわかった。

子供たちのすごく楽しそうに遊んでいる姿をみて

子供を抱える3人の支援隊員は、ほっとした。


しかし、子供たちは温かいものを震災後、

多く食べていないのは明らかだ。

食べれるのは、ボランティア団体が来た時だけ。

あの子供たちに温かいものを提供したい、

あの子供たちの笑顔を見たい、

そんな熱い思いが湧きあがった。


この状況を一次隊に連絡。

患者さんが300名いる女川町立病院へ行くよう

指示を受け、急遽ルート変更。

必要な物資を搬入。


トマト、フルーツ、カット野菜、牛乳、衣類など。

前回に対応していただいた職員さんに相談したら、

物資の届いていない場所がある、とのことで

同行していただき、山奥の施設へ行った。

そこには30、40名の方が非難されており、

物資は届くものの、本当にほしいものが届いていない。

こんな物資を待っていたと喜ばれた。


喜ばれたものは、

カット野菜、ストーブ、煮干、味噌、梅干、牛乳など。

本当にありがたがれ、満面の笑みを見ることができた。

特に感じたのは、やはり人間性。

被災者であるにもかかわらず、僕たちに

お礼として、ペットボトル、パンをもらった。

感謝です。


その次に女川町の物資収集場所へ行き、

すべの物資を受けていただいた。


今回の支援物資は、

カット野菜(白菜、大根、人参)、味噌、だし、

トマト、デコポン、牛乳、プリン、ゼリー、カップラーメン、

衣類、生活用品、ストーブ、灯油、わり箸、カップなど


3月25日(金)朝7時30分、四日市北勢市場へ無事に帰還。


一言感想。

同じ日本であんな現状を目の当たりにすると

本当に重い気持ちになった。胸が痛んだ。

しかし、微力であるが今回物資を届けて

あの笑顔をいただき、また、

引き続きできることの支援活動をしたい、

そんな思いです。生きていることに感謝。

第三次支援隊が速やかに出動することを祈念する。