笑顔の会 (東日本大震災の復旧を支援します) -147ページ目
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第1次支援活動 報告


今、末端まで本当に物資が行き渡っているのか?

配給は乾パン等の非常食だけなはず。

四日市人の復興への熱い思いを伝えるため、

元気を持っていくことは出来ないか?


熱い思いで、温かい豚汁&果物を

供給し元気つけようとすることを目的として、

個人的に福村康仁(三重促成)が決起して協力仰ぎ、

宮崎由太(宮崎本店)川村公博(伊藤鰹節店)、

宇藤直樹(ウトウフローリング)で行動開始。

(3月18日午後4時30分)


多くのメンバーの賛同を得て、3月18日の夜から行動を開始。

(3月19日夕方発に向けて)


緊急車両の登録、往復の燃料、

3000食分の豚汁を作るための材料、

生理用品など収集確保を実施。

決起から24時間で下記の物資を確保。

(このスピーディさに全員感動)


用意した物資

デコポン50箱、トマト50箱、カット野菜400キロ

(現地の手間を省く・人参、ゴボウ、里芋、大根)

鶏肉50キロ、豚肉25キロ、ウインナーなど、

水1000ℓ、味噌100キロ、本だし10キロ、

カップラーメン400個、飴5箱、生理用品50袋、

カップ5000個、箸5000膳、古着、防災用品等


仙台市役所へ18日夜連絡。

「かなり物資が不足しているので助かる。

 市役所目指して来て下さい。」とのこと。

3人は12時間かけ仙台市へ。

19日朝8時、仙台市役所より連絡あり。

「仙台の方はボランティアさんの手配が進んでおり、

 出来れば、北へ物資を運んでほしいとのこと。」

塩竃へ向かい、あまりの光景に3人が絶句して

どうすればいいか考えていた。来たことは軽率だったのか?

無事に帰れるのだろうか?余震が続く宮城県でどうするか

悩んでいたときに、自衛隊と遭遇して、

話しを聞いてもらった!それなら市役所に行って話しを

してはどうかといわれ、自衛隊に先導してもらい塩竃の役場へ。

話しをすると、ここまで来てくれてありがとう。

食料がなく、ここで炊き出しをしていただけれるならと

喜ばれて、米などは役場で炊いていて配給してるとのこと

なので米を降ろして、トマト、デコポンを食数を伝えると、3か所の避難所へ運ぶよう指示を受けた。


「北へ行けば、まだまだ物資が届いていない

避難所がいっぱいある」との情報を受け、

女川原発のある女川町立病院を目指すことにした。

1.2mの地盤沈下により、ガードレールの高さまで

冠水した道路を数か所を通り、

また、自衛隊が砂利を敷設して造った仮設道路を通り、

なんとか目的地に到着した。

現地の広域連携部隊の職員、栄養士さんの了解のもと、

支援物資を供給させていただいた。

支援物資は腐らないもの、と言われているが、

直接支援物資を届ける場合、

炊き出しの具材(カット野菜)、

トマト、デコポンの果物は本当に喜ばれた。

(こんな物資がこの時期に届くとは思わなかった。とのこと)


情報、インフラ整備は刻々と変化、1週間たっても配給は、

乾パンで1日2食(朝昼兼用、夜のみ)の場所もあるが

大きな避難所では、物資の確保が出来てたりして

500m離れるだけでも、全く動きも、状況も違い

物資の届かないところに、素早く届けれて

少しの人数分しか行けなかったったけど、

少しの人にでも届けれたので、行動してよかった!

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