こんにちは。笑美です。
お越しいただきありがとうございます!
前回は久しぶりの更新だったにもかかわらず、また来ていただけてとても嬉しかったです。ありがとうございます。
新しいメソッドはもうしばらくお待ちくださいね。早く形にしたいです。良いものができたらいいなぁ。
今日はまた気づいたことを書かせていただきたいと思います。「できないを認める」というお話です。
実は私、料理があまり上手ではありません。
それでも毎日一生懸命作っていたのですが、全然楽しくなく、義務でしかありませんでした。「家族のためにきちんとしなければ」と思うのが辛く、できなければいっそう辛いという状態でした。
かといって頑張って凝ったものを作ったり、美味しくできたりした日は満足できたか?というとそれがそうではなかったのです。
いくら美味しくできても、家族が美味しいと言ってくれても「嬉しい、頑張ってよかった」とは思わず「ふ〜やれやれ、無事できて良かった」くらいにしか思えませんでした。喜びを感じることができなかったのです。
それがどうしてなのかは当時はわかりませんでしたが、今思えば
「できて当然だから、喜ぶほどのことじゃない」
と感じていたのではないかと思います。
料理が苦手だと頭では分かっていましたが、心では納得していなかったのですね。「本当はできる。できないのはおかしい。」と思っていたのです。随分な思い上がりですね(笑)
ところがある日突然、きっかけは忘れてしまいましたが「あ、私料理苦手なんだった。できなくて当たり前だった。」とふと思ったのです。できないを認めた瞬間でした。
すると不思議なことに、あんなに面倒だった料理がそんなに嫌ではなくなったのです。「やらなければ」という義務感が消え、「できる範囲でいいや」と思うようになったことで随分気持ちが楽になりました。
するとさらに不思議なことに、新しいレシピに挑戦したり、自分で料理方法の工夫までするようになったのです。そしてうまくできたときは素直に「嬉しい」と思えるようにもなりました。「料理を楽しむ」ことができるようになったのです。
できないを認めたことで、わずかな成長でも喜ぶことができるようになったのだと思います。そして「できなかったらダメだ」という強迫観念がなくなったことで、新しいことに挑戦する余裕まで出て来たのだと思います。
もともと自分への合格点の設定が高過ぎていたのです。だからできないとダメ出しし、できても当然と思ってしまっていたのですね。随分自分にひどいことをしてきたと思います。
恐ろしいことに、この高い合格点は料理に限ったことではなく、ほぼ全てのことに対して設定してしまっていたように思います。
掃除や片付けなど家事全般、そして仕事にも。道理でいつも結果に満足できないわけです。常に「こんなはずじゃない、もっとできるはず」と思っていたのですね。
随分と思い上がっていたものだなぁと思います。そしてそのために自分にダメ出しばかりして自己肯定感を下げ続けていたなんて、ほんとに馬鹿馬鹿しいことだったとやっと気づきました。
これからはできない自分を素直に認めたいと思います。
自己肯定感の低い方の中には、意外と同じことをしている方がいらっしゃるのではないでしょうか。
だとしたら、一緒に「できないを認める」を始めてみませんか?ずっと楽に生きられるようになるかもしれません。
それでは今日はこの辺で。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。今日も良い一日を(^^)ノ
今日もワクワクだニャ
洗濯バサミには特に意味はないニャ