ジージがやっていた「男の仕事」

 

そもそも、生命保険営業という仕事には縁がある。

母方の祖父が、当時のM生命といところで30年ほど勤務していたことがある。

当時は損害保険との併売はしていなかったが、定年すぎてから大東京海上火災(?)という中小の損害保険を扱っていて、80歳超えても超えても顧客のところを訪問していたという記憶がある。

 

高齢者と阿吽の呼吸で会話できるのが担当者だから「訪問依頼を断れんのじゃ」と言いながら、80歳を超えていながら自転車で訪問していた。

 

祖父にとって、生命保険営業は「男の仕事」。

女の私が就職するという話をしたとき、烈火のごとく反対した。

「所詮、女に重要な仕事ができるわけがない」という理屈だった。

 

それほど「生命保険営業は神聖で貴重な仕事」という認識があったらしい。

祖父の場合も、戦後に携わったはずだから「女性が台頭した時代」を知っているはずなんですが、「男性の仕事」という認識は、変わらなかった。

彼がなくなるまで愛用した皮ベルトに着けていた銀のバックルが、3000万倶楽部という、高額契約を勝ち取った優秀営業担当者に与えられた品だったらしい。
複数所有していて、亡くなった日も手元に置いていたはず。
彼の誇りは「保険料の建て替えを一度もしたことがない!」だった。
インチキを絶対にしないという頑固な男。
それが、正しいセールスの姿勢だったと思う。

保険営業で大切なのは、その誇りかもしれないと、今でも思う。
 

 

外国の大学みたいな仕事

日本の大学は、入学するのが難しい。

だが、卒業するのは決して難しくない。
外国の大学、とくにアメリカでは入学はできても「卒業が難しい」と聞く。

生命保険営業は、日本社(1社専業型の大きい会社)では「誰でも入社できるけど、成功が難しい」と、就職してすぐの頃、そんな風に思った。
 

私の場合は「入社させてください!」とお願いして入社したので「簡単に辞めたいとはいえない」状況だったし、成功の見込みは見えないし、誰でも入れるけど「卒業=成功」は難しいと感じたのだ。


それは、努力の方向を間違っていたからなんですが、それが分かるまではジージが言った「男の仕事」のほうが正しかったのかと不安が大きかったのだ。

 

 

訊く!仕事

 

 


行けども行けども不毛地帯、底なし沼しかないのではないか?
どこに、私の理解者がいるんだ?
いつになったら、契約が取れるんだ?

と、保険営業をスタートしたころは、不安しかなかった。
風呂桶なし、シャワーしかない月65,000円のアパートの名前が「○○マンション」となっていて、宅急便のお兄ちゃんが「マンションなんてないし、探しちゃいましたよ」といった言葉にさえ怯えてしまうような毎日。

何度もシャワー室でうずくまって泣いた。
 

その「いつになったら私の話を聞いてくれる人が現れるのか?」

が、実は間違った方向なんですけどね・・・
 

契約をくれそうな人を探すのではなく、情報を必要としているかどうか、困っていることに気がついているかいないか「質問する」「聞く」「聴く」「訊く」が先。

 

そのことが「無意識の自動反応レベル」で身につくと、全く違う世界が見えてくるのだよ!

 

さて、当時の私に「無意識の自動反応的に身についた」とは言えません。

言えませんが、
「まずは、人生の物語を組み立てる情報を提供する」
「それを元に、一人ひとりの人生の地図を作る」の手伝いをする

「人生の地図」を見ながら一緒に考える

という流れを教わり、毎日10人以上の人に声をかけ、アポを取り話を訊くことに専念しましたよ。

その結果は、「私の人生の地図に載っている宝の隠し場所」が増えた!

となったのです。

話を訊くためのアポ、あなたは取ってますか?
そうです、商品を売り込むためのアポ取りではなく。



 

さて、次回はその続きを楽しく語れると嬉しいです!