リハビリといったら脳梗塞の後遺症、麻痺の人の付き添い?歩行練習のリハビリのイメージが強い人も多いのではないでしょうか??
今は病院がとーっても細分化されていて、さらに長くひとつの病院に入院できなくなっているので
各病気に対してもだし、それがいつ起きたのかによってどんどん病院を変わらなくちゃいけません。
私がリハビリの仕事をはじめたころはもっとのんびりと?対応範囲、分野をひろーく
そしてもっと長く一人の患者さんとお付き合いすることができました。
長く患者さんとお付き合いできる利点は経過を追ってしっかり治療ができること!これにつきます。
つまりは自分のやっていることの結果の検証がきちんとできる。
今というか、一般的にはリハビリの主流はとにかく動いてもらうこと
早く座って、早く立って、早く歩かせて
なんですね。
だけど私が勉強して実践しているリハビリは
ただ動かすこと、とりあえず動作を反復すること、回数をこなせばよくなる
という事を否定しています。
それはなぜか
動くこと、運動することは体の感覚と切っても切り離せない関係だからです。
例えばですね、何の障害もなく体の感覚も特に問題ない人の場合で考えてみましょう。
・置いてある荷物を持ち上げる動作
これを例に考えてみると
①あらかじめ見たイメージでこのぐらいの重さかな?というのを想像する
②実際に持とうとする、触った感じ、少し荷物を持った感じでどのぐらいの重さか把握
③それに応じて自分の筋肉の力を調節(最低限の力で持ち上げる)
④その時に指や腕やお腹や、足の力も全てのバランスを考えて、どこの分量をどのぐらいの大きさで、さらに荷物を持った時に自分の体が倒れないように、それも計算しながら持ち上げる
大まかに分けてもこれだけのことを瞬時に人間の体は考えて行動できているんです。
だけど…例えば指にしびれや麻痺があったとしましょう、そうするとどうなるか
まず①の段階で正しい判断がくだせません。
どのぐらいの重さか認識できないのでどのぐらいの筋肉の力を出したらいいのかも分かりません。
これが先に言った
運動と感覚が切り離せないということ。
常に感覚と運動は循環していて、微調整をしています。
①の段階で思ったよりも重かったら(重いと正しく認識できたら)運動神経に指令を出して力をさらに発揮できるようにします
軽い場合はその逆。
もう少し力少なめでいいよ~の指令がいきます。
しかしそもそもの感覚が鈍くなっている人=脳梗塞などで感覚神経に障害がある人はこれを感じ取る能力が鈍くなっています。
つまりは正しく運動できないのです。
でも人間の体はよくできていて、それでもなんとか動作を遂行しようとするので
絶対落とさないように常に最大限の力を発揮するとか、もしくはほかの部位に助けてもらって荷物を持ち上げようとします。
それで荷物を持ち上げるという動作は出来たとしても、体に負担が大きいですよね?
常に最大限なので疲れるし。
痛みも出てくる場合もあります。
だからとりあえず運動させる!ということはしないのです。
運動が出来るようになるためには感覚を鍛えろなのです。
細かく感じられる人は細かい動きができます。
麻痺の人、例えば全然感じない人、触れているかどうかも鈍い人などは思いっきりわかりやすい二択などを区別できるように、からリハビリをはじめます。
例えばチクチクしたものとふわふわのものとか。
これは触覚の例ですが
ひとくちに感覚といってもいろんな感覚があるので
例えば指だと触覚はかなり細かいことがわかる部位なので1mm単位の微妙な違いみたいなのが分かることが重要ですけど、
足の裏だと手の指ほどまでは分からなくても
まずは大雑把に柔らかい感じの土かコンクリートみたいな硬い地面かぐらいははっきり認識できないといけないし。
体の部位と何の働きをするところなのかによっても求められる感覚と細かさが変わってきます。
それで、ですね、
実際にタイトルの麻痺は治るの??ですが…
完全に元の状態に~~というのは難しいかもしれませんが麻痺の状態変わりますよ。
そして感覚が細かく分かるようになると動く練習を一切していなくても勝手に動くようになるんですよ~~(笑)あら不思議?
というよりも人間とは常に探索している生き物で、自分の体で何かを感じたい、そして感じるために動きたい、動くからまた感じられる…その循環をしている生き物なのですよね。
だから例えば脳の後遺症で動きがうまく出せなくなった人はこの循環が絶たれているのです。
正しい感覚が入ってこないので動けない、動いてもよく分からない、調節しようがない、動かない、動けない…のループです。
腰痛や肩こりもちょっと違うけど感覚…がキーワードなのは間違いないです。
そんなお話はまた次回…