私は神奈川県秦野市で里山活動をしています。

 


#里山再生の会あわいのもり

里山再生活動のきっかけは、高齢の地主さんから、「管理ができなくなったから、代わりにしてくれないか」とお願いされたのが発端で、当初は「誰からも収穫されずに、ただ落果する梅や蜜柑がもったいない」という単純な想いからでした。



仲間と里山の手入れをしているうちに、様々なことを学びました。
そこが「蛍がとぶ」生物多様性に満ちた環境であること。
多くの農家さんは、草刈などが体力的にできなくなると、除草剤などを撒いてしまうこと。
なかなか周囲に「助けて」と言えなくて、できるだけ自分で頑張るという選択肢が「除草剤の使用」であること。
最初から、「ラクだから除草剤を使う」という発想でなく、「やむを得ず、最後の選択肢としての除草剤の使用であること」
そして、藪化した荒れた暗い里山には、鳥獣が住みつき、
獣害が残った農家の意欲を削ぎ、
里山の荒廃の悪循環を続けていること。

里山再生の会あわいのもり 公式インスタグラム

そんな里山の現状を知り、寡黙な農家さんの想いを受け止めつつ

里山に癒しを求めてくる都会の人達の素朴な疑問にも、同時に応対していました。

「なぜ、こんな生物多様性豊かな宝の山を除草剤で穢すの?!」
「猪や鹿も同じ命。分かち合えないの?私は動物肉を食べない。」
「人が自然を開発し過ぎて、地球がおかしくなった。さらに草を刈ったり、自然に人の手を入れることに抵抗がある」

素朴過ぎる、思ったことをそのまま言葉にする、
受取り方によっては、「言葉のナイフ」にもなるようなコミュニケーションの取り方をする、
自然や動物をとても愛する人たちに対し、
慎重に、そして、的確に、私たちの意図や里山の現状を伝えるにはどうしたらいいか
ずっと言葉選びに試行錯誤しています。


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私の中に「里山とはこういうものだ」という概念が、里山再生する活動の前から、自分の中に既にあったのは
実家のある奈良の風土が「里山の原風景」を形成していることに、最近気づきました。

伏見稲荷大社、テキストの画像のようです
木、伏見稲荷大社の画像のようです

この写真の神社は、実家から一番近い神社で、「火幡神社」という、「織物や養蚕など人の産業を司る神様」をまつる地域の集落の神社です。
宮司が常駐していない地味な、どこにでもあるような集落の神社ですが、1300年以上の歴史があります。

私にとっての里山とは、この古い神社のような存在。

人が手を入れなけば、神社は荒れていく。

元の自然には戻らない。
神社を創建した先人の想いは、人が繋いでいかなければならない。

奈良という地域は、かなり昔から、人が暮らしていました。

もののけ姫で、例えるのなら
エボシ様のような我々のご先祖が、とうの昔にシシ神様を葬り、
「獣たちの【奥山】」を、「人が手を入れた自然【里山】」に作り変えていきました。

エボシ もののけ姫 に対する画像結果

日本は森林に覆われた緑豊かな国です。
森と人の区分を3つにわけると
【奥山】獣の世界。手つかずの自然。普通の人が入ることはない土地。
【里山】奥山と人里の中間地帯。手を加えた自然で、奥山よりも生産性が豊かで、その恵みを人も利用する土地。
【人里】人の世界。獣から守られた安全な場所であるべき土地。

獣は愛玩動物ではなく猛々しく、奥山は気軽にアクセスできるような場所でなく。
獣と人の中間地帯である里山は、幼い子どもや老人が暮らす人里には、決して獣を近づけてはならない緊張感を伴った防衛線としての緩衝地帯でした。

現在でも
人里・住宅街まで獣が入り込んでしまった場合、獣と話ができるのなら別ですが、住民に危害が及ぶ可能性が高く、街中で銃も使えず、くくり罠も設置できず、対処が非常に困難です。
もののけ姫 コダマ あしたか に対する画像結果


奈良のような地域は、そして日本の多くの地域でも【奥山】は、ほとんど残っていません。
石油石炭を使用せず、木材が重要な資源であった一昔前は、日本は、里山を利活用し、森林資源を持続可能な形で管理して、多くの人が豊かな暮らしを実現していた世界的にも稀な文明です。

言い換えると、人が自然の生態系に入っているのが、日本人が生み出した【里山】という存在

人が手をかけることで、自然に任せた採集よりも、豊かな生産性を得られるようになった【里山】の恵みを、節度をもっていただく。それが、古くからの日本における「自然との共生」という暮らしです。

自然に干渉しない。人の暮らしの利便を考えない。
という、
生態系や人営みを、外から傍観するスタイルでなく、
日本人は、自然と人の両方に利があるように場【里山】を創り、
「【里山】を維持することが、自然と人が共生する」ことになる。
そんな感覚を、言語化できない子どもの頃から、原風景としてもっている日本人は多いのではないでしょうか。


もののけ姫 コダマ に対する画像結果もののけ姫 コダマ あしたか に対する画像結果
 

【里山】には、木霊はいたとしても、もうシシ神様はいません。
シシ神様の代わりに、里山を育て見守ってきた祖霊神のような存在はいるかもしれません。

祖霊神への崇敬や、ご先祖がシシ神様を葬ってしまった償いもあわせて、
【里山】は手入れを続け、残していかなければならないと思うのです。


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「放置された果樹園がもったいないから」始めた里山の再生活動の中で
古来から「日本人が自然と人が共生してきた感性」を、取り戻し、多くの人に想いだしてもらうのが
使命だと思うように至りました。
そして、その志だけでなく、ずっと続けていけるための仕組みづくりを、今は懸命に考えています。

#懐かしい景色を次の世代へ