他人から逆ギレされたり、失敗を鬼の首を取ったかのように執拗に責められたり、不愉快な体験をした時。相手から受けるダメージは「毒矢」のようなものだと思う。

 

相手からの攻撃にさらされている時間もダメージを受けているが、相手から離れて、一人になった時間も、刺さった「毒矢」は言葉のリフレインとなって頭に反響し、心身にダメージを与え続ける。

相手の放った「毒矢」だけならまだいい。自分自身がその相手の「毒矢」に同調して、過去の自分を、今の自分を、責める。

「毒矢」のダメージは何倍にも倍加する。

 

『何故、相手が「毒矢」を放ってきたのか考えろ!』と、詰問する声がする。

「毒矢」でダメージを受け、ショック状態の心身で考えても、ロクな考えは浮かばない。

原因分析しているつもりが、自分を責め、後悔し、同じところをぐるぐる回りがち。

 

こういう場合、原因究明、改善策立案よりも、まず「毒」を抜いて、自分の手当てすることが先決。

 

自分が今まで試した「毒」の手当の方法を、忘れた時のためにメモしておく。

 

①毒をもって毒を制す

相手に同調する自分の攻撃は、かなり厄介。

酒を飲んで、脳を黙らせたほうがはるかにまし。

多幸感をもたらすスイーツや、電子麻薬的なゲームでもいい。

安定剤などもいい。眠れるなら眠るのが一番いい。

これらは、毒にもなるので、毎日必要に感じるなら、10年、20年蓄積された毒がこわい。

 

②毒に馴れる

生きていれば、嫌な事があるのは仕方ない。

もっと悲惨な状況が、過去の自分や、他の人と比べればマシかなと。

毒は消えてはいないのだろうけど、ウダウダと後悔しているよりマシかなと。

軽い毒なら、馴れて耐性もついていくだろう。

 

③毒を吐き出す

相手に言われて腹立った感情そのままに、誰かに話す。

自分にだって言い分があるってことを、受け止めてくれる人がいると、

ハッキリと胸が晴れるのを感じる。心が軽くなる。

ただ、自分が毒を吐き出す時、周囲に毒をまき散らしいるのではないかと心配になる。

ありがたいことに、私には愚痴を受け止めてくれる人がいる。

しかし、実を言うと、自分は他人の愚痴をきくのが好きではないことを、この頃自覚してしまった。

愚痴をただ聴くことに専念できず、アドバイスをしてしまいたくなるのだ。

後向きな発言を、ポジティブな見方にもっていこうとするのだ。

相手を変えようとするのだ。

毒をうけてダメージを受けている相手に

「あなたは変わる必要がある」なんてことを暗にでも示唆するのは時期尚早だ。

相手の放つ毒を一緒に受け止めて、一緒に苦しむ器が自分にはない。

そう氣づいてから、私は毒吐きは控えるようになった。

 

④今に集中する 「止の瞑想」

酒を飲まずとも、スポーツや音楽に没入することで、うるさい脳を黙らせることはできる。

スポーツや楽器の演奏していると自然と「今」に集中して

過去こと。失敗したことや、怒られたこと、を一時的に忘れる。

私は忘れることは、生きていく上で大事だと思っている。

人類の歴史は辛いこと、嫌なことが沢山あった。

忘れることができたから、今まで生き延びてこれたと私は思う。

一時的に忘れても、また嫌な事を思い出す。

その時は、心身のダメージは少し回復しているはず。

そのとき、『何故、相手が「毒矢」を放ってきたのか考え』たら良い。

まだ、向き合えないなら、また忘れて、回復を待てばよいと思う。

 

⑤自分を受け入れる 「観の瞑想」

人に毒を吐き出すことは効果があることはわかっている。

人に吐き出さなくても、「絶対に自分を受入れる『自分』」に対して毒を吐き出せば良いのではないかと思って実践してみた。

今の自分の身体の状態を慎重に丁寧に観る。感じとる。

「しんどいなぁ」「腹立つ!」そんな感情を、善悪のジャッジをしないで、ただ「しんどいんだね」「腹立っているんだね」と自分で自分を受け止める。

全力で受け止めることに徹する。

そうでないと相手への非難、「自分が変わらないで、相手や周囲が変わればいい。」との考えに容易に転落してしまう。

感情の波は何度も繰り返し訪れる。

その度に、根気よく向き合い、受け止める。

この方法を使うと、自分の中のイメージとして、毒が身体の外に押し出されたり、吐き出してまき散らされたのではなく、手をかざして傷が塞がるように、毒が浄化されていくようなイメージがある。

今のところ、これ私が使える最強の自己回復魔法。

 

こういうことができるようになったのも、ヨガや瞑想を日常的に続けているからだと思う。

だから、もし調子が悪くなってできなくなったら、前のやり方に戻れば良い。