道を歩けば、電柱に電車、舗装された道路にお店。
こういう人工物はみんな、
「楽したい」という理由で
人々が考えて生まれたものだよね。
遠くまで歩くのが嫌でもっと楽したいから
電車や自動車に乗る。
車にぶつかられたら痛くて嫌だから
ガードレールを作る。
アスファルトの方が運転するのに楽だから
路面を舗装する。
自分で魚釣ったり動物狩ったりしたくないから
スーパーで買う。
世の中にあるもの全部、
「嫌なことしたくない」「楽したい」っていう
先人たちのわがままで誕生したんだよ。
もっとさかのぼって、縄文時代の狩猟生活から
弥生時代に稲作に変わったのだって、
稲作の方が狩猟より楽だったからじゃないの?
だから、「嫌だ」「面倒」って思うことって、
何にも悪くないし、罪悪感を持つ必要もない。
人類の進化の歴史だし、
次の進化の可能性を見つけた!くらいに
思っとけばいい。
だって、いちいち電車乗るときに
「歩けばいいのに電車に乗って楽してごめんなさい…
私はわがままなやつですみません…」なんて
いちいち思わないでしょ。
それと同じだよ。
「電車乗るな!歩け!わがままだ!」とか
もし自分に言ってくる人がいたところで、
「あなたはどうぞ好きにしたら?私はしないけど」としか
思わないでしょ?
それなのに、なんで家事育児になると
無駄に罪悪感を持たされるんだろうね。
普通に考えて変だよね。
やっぱり、便利な奴隷でいさせるためなのかな?
罪悪感とか恥の感情を植え付けると、
労働させる相手が
自分で自分の行動を制限してくれるようになるから
管理・搾取する側としては超楽なんだよね。
その人たちの「嫌だ」「楽したい」を
叶えるために生み出された罪悪感だとしたら
どう?叶えてあげたい?
私はお断り 一択。
もし、家事育児のジャンルに、
もっと早い段階から
権力がある種類の男性とかが
進出していたら…
なんなら出産しなきゃいけなかったら…
無痛分娩だって歯医者さん並みに
安全に麻酔できる環境を
さっさと整えていたと思うよ。
ひとまずそれはおいておくとして、
「楽」する自分にブレーキ踏みたくなるような
罪悪感は、見つけ次第捨てていったらいいと思う。
自分が嫌なことを人に押し付けるために
罪悪感が生まれたというなら、
自分も代わりの誰かに押し付けたりしない。
例えば毎日の家事を、
自分も夫も子どももやりたくないと思っているなら、
すぐに家電を導入すれば済む話だしね。
育児の中で私が自分の手でこそ
やりたいと思っているのは、
子どもと話すこと。
子どもの気持ちを受け止めること。
子どもに愛情を伝えること(叱ること含む)。
一緒に手をつないで歩いたり、
一緒に布団でごろごろしたり、
一緒にわんだふるぷりきゅあ見て
「こむぎー!」って泣いたりしたい。
一緒に旅行行って絶景見てご馳走食べたい。
そういう育児だけ、やりたい。
まぁ息子たちはもう8歳と5歳だから、
トイレもお風呂も全部自分でできるわけで、
残ってる育児は多分かなり少ないとは思うけど。
園の送迎とかかな?
PTAは育児に必須とは思わないから違うしな。
一方、家事の中で私が自分の手で
やりたいと思っているのは、
思っているのは…
…ん?
えーと。
無いかも。無いです。ありません。
家事は一切したくありませーーーん!!
という自分の本音に気付いてしまった。
もともと料理好きでも掃除好きでもないしな。
洗濯好きでも皿洗い好きでも、
布団敷くの好きでもないしな。
あ!!一つだけ見つけた!
断捨離!
断捨離の場合は、判断するのは持ち主の私だから、
他の誰かに任せたりしないし、私の手でこそ
やりたいことだった。
結論。
私がしたい育児は、子どもと触れ合ったり、
話したりすることだけ。
私がしたい家事は、断捨離だけ。
そうなると、残った家事は全部手放せるように
考えていこうと思う。
もしくは、子どもや夫と話しながらやれば
楽しい時間に変えられるから、
一人でやらないことにするとか工夫してみる。
やめることもっと探して、
やりたい家事育児に割けるエネルギーを
増やそうと思う。
罪悪感なんか一切ない。
現代人の旨味を最大限享受して、
文明の利器を使いまくってやろうと思う。
手始めはホットクックと乾燥機付き洗濯機だな。
ありがとう人類の進化!
ありがとう人類の「面倒くさい」回避能力!