小学生男子、会話を聞いていると
だいたい「俺すげーし」
「俺なんかもっとすげーし」
みたいな話をしている。
「俺、ジェットコースターに乗ったことあるし」に
「俺なんか、お化け屋敷入ったことあるし」を
かぶせていく感じ。
それって勝負になるのか?みたいなことばっか
わいわい言ってるような気がする。
意外と飲み会の席でも、元小学生男子の間で
似たような話題が展開されているのを
見かけることもある。
私、そういうの見かけると
なんだかほっこりするんだよね。
「そのシールかわいいね」って言われた女の子が
「そのメモ帳もかわいいね」って答えて、
「えへへーありがと」「こちらこそありがと」
「一枚交換しよ?」「うん!」みたいな
小学生女子トーク または
元小学生女子トークを見かけると
これまたほっこりする。
小学生男子のドヤり合いでも、
小学生女子の褒め合いでも、
どっちでもいいの。
そうやって、お互いにこにこ楽しそうに
時間を忘れて話している子どもたちを見ていると
こちらまで嬉しくなる。
ああ対等って
こういうことだなって。
相手と自分が完全に対等な立場にいると
安心して心から信じられているから、
堂々と安心して
ドヤり合ったり褒め合ったりできるんだよね。
小学生のときはそうやって自然にできていたいのに、
大人になると対等な関係を結ぶのが
難しくなってしまうって言う人もいるよね。
相手が自分より上だとか下だとか
感じながら話しているとしたら、
卑屈さや自虐、妬みやマウントなど
ネガティブな思いも含んだやりとりになってしまう。
謙虚さだってそう。
自分の中の基準と比べて
「自分はまだまだ」と口に出さずに思うのは
向上心があるってことで別にいいと思うよ。
でも、「謙虚な人だと思われなくては」と考えて
ただ謙虚なふりをしているだけだと、
私は卑屈な印象しか受けないの。
私は褒められたら、素直に受け取る。
褒められ慣れてるから、受け取るのも上手なの。
自分自身が自分を四六時中褒めているから、
他の人が褒めてくれたときも同じように
「ありがとう!嬉しい!」ってそのまま受け取る。
あとは褒め合ったり、褒め返したり。それも本音で。
褒められ慣れてないだけで
つい「自分なんてまだまだ」って言っちゃう子には、
今のドヤっていいところだよーって話してる。
私はドヤられても
別にマウント取られたなんて思わない。
私を自分の上に置いて勝手に卑下したり、
私を自分の下に置いて勝手に見下したりせずに、
私のこと対等だって思ってくれてる!
仲間って感じ!嬉しい!って思う。
私の世界では、
そもそも私が最強(一番の味方)だから、たとえ
マウント取られたところで、そもそも認識できない。
私の可視光の外のできごとは認識できないからね。
他人を羨ましいと思うこともない。
誰かになりたいと思うこともない。
あの人素敵!憧れる!って思うことはあるよ。
でも、その人になりたいとは思わない。
その憧れの人みたいな〇〇な要素を
大好きな私に身に付けてさせてあげたいって思う。
また一つ大切な自分の好きなものを
見つけてあげられた!やった!って思う。
その後「大好きな私が喜ぶように、憧れの人に
近づけそうなことやってみよ!」ってなるだけ。
憧れの人を見て
「それにひきかえ自分なんて…」と思ったこともない。
他人と比べてどんな意味があるのか
本気でわからないから。
他人と自分が地続きだっていう幻想を
そもそも持っていないから。
その幻想を持っていて楽しいなら
持っていればいいけど、
別に楽しくないなら捨てればいい。
私はこの先も、いらないかな。