怒ることを自分に許可するどころか、怒る自分まで大好きになる思考回路 | 自分大好きな人の頭の中

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私にとっては当たり前だけど、話すと驚かれるから書いてみる。

自分にとって気に入らないことをされたり、

 

嫌なことをされたら、怒れる。

 

でも、『イライラ』はしないんだよね。

 

 

 

でも、最近珍しく怒りに加えて

 

『イライラ』したことがあった。

 

息子の知り合い(友達ではない)が

 

意地悪を繰り返しているから、

 

こちらとしても徹底的に関りを断っているところ。

 

こういうのって、

 

こちらが離れようとすると

 

今度は相手が近づいてきて不思議だね。

 

ただ、息子は私を見て育っているので、

 

意地悪をされてそれでもまだ仲良くするような

 

自分を大事にできない子ではないから、

 

何も心配していない。

 

それでも、この件では相当イライラしたんだよね。

 

 

 

もう一つイライラしたのは、

 

私の大事な20年来の友人が

 

巻き込まれてしまったトラブルの話を聞いて、

 

イライラして仕方なかった。

 

「は?なんなの?意味わかんないんだけど。

 

そいつ認知ゆがみすぎじゃない?」と

 

首を突っ込むわけでもない部外者なのに、

 

私は興奮が抑えられなくて

 

そんな自分にちょっと驚いた。

 

 

 

私は一見「いわゆる奥様風・丁寧・上品・怒らなそう」と

 

言われることが多い。

 

実際に、小さなことではあまり怒らないし、

 

目(笑ってない)を細めて微笑みながら、

 

「あらあら、世の中には色んな方がいて

 

面白いわね、うふふ」と

 

スルーすることも多い。

 

でも、あまり怒らないからこそ、

 

怒ると簡単にはおさまらないし、

 

イライラすると口まで悪くなる。

 

 

 

私の中に生まれる怒りの感情には、

 

昔からちゃんと居場所を与えてきた。

 

私は自分の怒りを我慢するということはしない。

 

もちろん、怒りというのは表出するときに

 

コツが必要な扱いが少し難しいもの。

 

だからこそ、その感情表現の方法は

 

かなり慎重に工夫してやるけど、

 

怒りの感情を持つことを自分に許している。

 

それどころか、

 

怒りを持てたことで

 

自分を褒めるよ。

 

 

 

だって、怒りの感情は、

 

「何か大切なものを傷つけられた」と

 

感じたときに生まれるもの。

 

それは自分の中の問題かもしれないし、

 

相手側の問題かもしれない。

 

そのあたりの冷静な自己分析が終わったら、

 

自分の大切なものがまたひとつわかって、

 

その大切なもののために怒ることができた自分を

 

またひとつ好きになる。

 

自分のために怒ってくれる人(自分自身)最大の味方を

 

もっと大好きになれる。

 

 

 

多分、イライラするのは

 

その問題の

 

当事者じゃないから。

 

直接「嫌だ」「やめて」と現場で言えない

 

間接的な関係性しかないせいだ。

 

大切な子どもや親友が辛そうなら私も辛い。

 

でも、多くの場合は

 

現場に居合わせて

 

私が直接異議申し立てをしたり、

 

助けることは難しい場合が多い。

 

それが悔しくて

 

イライラしてしまうんだろう。

 

この感情も、子どもや親友が大切な証。

 

自分が出ていけないのすら辛く感じるくらい、

 

大切な存在なんだよね。

 

それに気付けると、

 

ますますそんな自分のことも

 

好きになれるよ。