妬み・嫉妬・羨ましい…という感情があまりわからない人 | 自分大好きな人の頭の中

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私にとっては当たり前だけど、話すと驚かれるから書いてみる。

妬み・嫉妬で苦しむ人がいる。

 

私は、他人のことは別に全然羨ましくないし、

 

誰かになりたいと思ったこともないから、

 

こういう感情がよくわからない。

 

 

 

他人に羨ましい…と思う時はきっと、

 

他人と自分を地続きで考えてしまうんだろうな。

 

その証拠に、自分と遠い存在に対して、

 

人は妬みの感情はわかないんだよね。

 

自分に近く感じる他人だと、

 

「あの人だって私と似たようなものなのに、

 

なんであの人だけがいい思いしているんだ…!」っていう

 

感情が生まれてしまうから。

 

 

 

他人と自分は全く別の存在だし、

 

それを比べることに全く意味なんてないと

 

頭でわかっていても、

 

きっと感情だけはコントロールできないんだよね。

 

どんな感情にも生まれた意味があるから、

 

そこを深堀りするのは自己探求になるからいいよね。

 

 

 

こうやって書きながら気付いたけど、

 

『自分に近い存在』と思える他人というのが、

 

もしかしたら私にとって

 

ほとんどいないのかもしれない。

 

だから、

 

「あの人と私は本来似たようなもののはずなのに…」

 

とも思わない。

 

自分と他人との間には、溝や壁どころではなく、

 

もはや次元が違う領域で生きている…

 

くらいの距離を感じているから。

 

確かに、これって孤独かもね。

 

何も困ってないからいいけど。

 

 

 

恋愛の場面でよく出てくるという嫉妬の感情も、

 

いまいちわからない。

 

ちょっとしたモヤモヤくらいなら

 

「こんな気持ちになるなんて、なるほど、

 

私はあの人のことを好きなのか…」という

 

気付きになるとは思うけど、

 

苦しむほどというのが理解できない。

 

私は、私に興味ない人に興味が持てないし、

 

私のこと好きじゃない人のことは好きにならないから、

 

嫉妬する場面に出会う回数がまず少ないのかも。

 

そもそも、片思い経験がほとんどないもんな。

 

子どもの頃の淡い憧れ?的なものしかなさそう。

 

それでも、自分のものにしたい!という気持ちはないし。

 

 

 

だって、次元の違う領域で生きている人が、

 

いくら自分のことを好きだからって、

 

自分の思う通りになるわけじゃないし、

 

私だって相手の思い通りに動くわけがない。

 

本来重なり合うこともないような遠い存在が

 

まるで近くに感じられるというなら、

 

そのことそのものが奇跡で、素敵なことだから、

 

もうそれだけで十分お腹いっぱいありがたいよ。

 

他人とは理解し合えないという前提で生きているから、

 

奇跡的に好意や価値観が重なったことは、

 

それだけでもう、すでに尊い出来事だと思う。

 

 

 

他人は遠いものだし理解できないものだという認識で、

 

孤独でいるのも悪くないでしょ?

 

こういう出会いに感謝できるんだから。

 

関係が深まったり、続いていく中でも

 

「どうして私が望むように〇〇してくれないの!」なんて

 

思わないんだから。

 

リクエストがあれば、ただ口で伝えてみるだけ。

 

伝えるか伝えないかは私が決める領域。

 

それを聞き入れるかどうかは相手が決める領域。

 

聞き入れてもらえないときにも

 

関係を続けるかどうかは私が決める領域。

 

 

 

自由意志で、今この瞬間も

 

そばにいることをお互いが選択した結果、

 

今日も隣にいてくれる…

 

私はそう考えているから、

 

結婚10年目の夫のことがすごく大切だよ。