この間、年齢を聞かれた。
それは久しぶりに偶然会えた方と
再会を喜んでいるときで、
色々と質問をしてくれた。
それはそれは久しぶりだったから、
近況報告・近況確認みたいな感じで。
その流れで「今っておいくつですか」って聞かれた。
私は基本的にあんまり年齢を答えることに抵抗はないけど、
でも、そのときはなんか嫌だったんだよね。
普段あまり聞かれないし、聞かれるとしても
「失礼かと思いますが…」って聞かれることが多いから、
いきなりのぶしつけな質問の仕方で驚いたんだと思う。
その自分の中の違和感に気付いて
答えたくないという意志表示をしたけど、
それでもしつこく聞かれた。
今度は、
自分が「執拗に答え渋る人」みたいになってしまうと、
今度はそれも私のありたい私でもないしな…と思って
結局答えたんだよね。
今思えば、そこで「えーしつこーい」って
言っておけばよかったのかもしれない。
だけど、〇〇すればよかったって後から考えるのって、
自分に非があるみたいで気分が悪い。
悪いのはいつでも、
嫌がっているのにしつこくする人の方だから。
結局、モヤモヤが続いている。
だから考えてみた。何が嫌だったか。
たぶん、嫌がっている意思表示をしたにも関わらず
しつこくされたことが嫌だったんだろうな。
嫌がっているのに、繰り返すのはもはや嫌がらせだし。
あと、屈して?答えてしまったことに負けを感じるというか、
本当に自分の意志を尊重できたのかという
疑問が残ったのかも。
答えない方が自分の意志を尊重できたのか、
答えた方が自分らしさを尊重できたのか。
もともと、年齢を答えることに抵抗が無かったのに、
なんで嫌だったのかというのは、
このモヤモヤについて考える上で、
結構大きなヒントかもしれない。
その少し前に、一緒に働いている子から干支を聞かれた。
そろそろ年賀状の時期だねって話から
干支の話題になったんだと思う。
年齢がわかることかもしれないけど、
平気で答えられたよ。
「私は〇〇なんですけど」って、
先に自己開示してくれてるしね。
その子との関係性が、
答えたいと思える関係性だったからだと思う。
嫌かどうかは、
聞き方と関係性による。
関係性ができていれば、
ある程度どんな聞き方でも答えるよ。
関係性ができていなければ、
質問の仕方に気遣いが必要。
気遣いを感じたら、答えてもいいなと思える。
もともと答えることに抵抗はなかったんだから。
私からは質問しないのは、相手の年齢に興味が無いから。
どっちかというとお子さんの年齢の方に興味がある。
(こっちからは聞かないけど)
それは、パパやママとしての共通点を
見つけられるとトークを広げられて嬉しいから。
でも、今回質問してきた方も、
私と年齢が近いことがわかって、
ちょっと嬉しそうに色々話してくれた。
そういう意味では、私と同じだったんだよね。
『共通点を見つけたかった』っていう。
それに気づいた瞬間、モヤモヤが消えた。
今回は、気遣いがちょっとできないタイプで
あからさまに嫌がっているのもわからない
鈍感めタイプの人だったけど、
私に興味を持って、
共通点を探して話そうとしてくれたからこそ。
間接的な子どもの話より、私と自分という
個と個の話にフォーカスしてくれていたんだよね。
それに気づいたら、嬉しくなった。
私も偶然会えて、お話できたこと自体は
すごくうれしかったんだ。
楽しくお話できて、幸せな時間だった。
すごく楽しかったからこそ、
一点の曇り(モヤモヤ)が気になって、
こうやって考えてみたんだけどね。
もちろん、嫌がっていることを
尊重してくれなかったこと自体は嫌だったよ。
でも、相手の意志がどこにあるのか、
意図はなんだったのかがわかったから、
『答えたくなる関係性』が時間差で成立したんだ。
自分の「年齢はただの数字だから別に言える」という
考え方を変える気はない。
でも、そう思わない人も当然いるから、
私からは聞かないというスタイルも、
同じように変える気はない。
別に言えるからと言って、
いつでも言わなきゃいけないわけでもない。
相手との関係性や
気遣いの有無、
意図によって、
答えてもいいし
答えなくてもいい。
今回の学びを次からに活かすとしたら、
しつこくされたときの対処法くらいかな。
『違和感に気付いて即答しない』というのが
できた時点で、
私は自分によくやったって褒めているところ。
自分の中のモヤモヤを放置しなかったことも、
私本当にえらいなぁって思っている。
モヤモヤをそのまま終わらせるなんて、
もったいないよ。