話すのが苦手とか言って、
代表挨拶とかは辞退するくせに、
自分の話を聞いてもらいたがっている人って
すごく多いみたい。
きっと、「上手に話せるかどうか評価される場」で
話すのが嫌なだけで、
みんな話は聞いてもらいたいんだよね。
承認欲求があるのは、別に普通のことだよ。
おかしいことでもないし、恥ずかしいことでもない。
人間が社会的な動物である証だし、
別に悪いことじゃないよ。
子どもだって、しっかり話を聞いてもらった経験が、
これからの人生の糧になっていく。
聞いてもらうこと=尊重されることだから、すごく大切。
でも、忘れて欲しくないのは、
人に承認もらおうとする前に、
自分で自分を承認できているかってことと、
自分で自分の話をよく聞いているかっていうこと。
人と話しているうちに自分の考えが整理できて、
気持ちがクリアに見えてくるというのは事実だけど、
それは相手がカウンセラーとか傾聴のプロの場合ね。
お友達相手に話して、考えが
スッキリ整理できることもあるかもしれないけど、
それって相手に相当負担かかっているということを
忘れたらだめだよ。
有料級のサービスをしてもらったんだから、
それ相応のものをお返ししなきゃいけないし、
同じようなこと自分もできるようになってないとね。
そうじゃないと、関係性が対等じゃなくなって続かない。
人に話して考え整理する前に、
自分で自分のことを
まずちゃんと見てあげればいいのにって
自分大好きな私はいつも不思議に思う。
考えのアウトプットはノート相手でもできる。
その文字列を眺めながら、
自分の本音は?自分はどうしたかったの?って
ひとつずつ深めて考えていけば、
多分、ある程度のことはそれでわかる。
たとえ、その場ではわからなかったことでも、
一度疑問としてアウトプットしたものなら、
脳が無意識に答えを探し続けるモードに入るからか、
あるとき答えがひらめいたりする。
もしわからないとしたら、
自分で自分のことほっときすぎ。
これ、「自分のことはつい後回しにしちゃって…」っていう
自己犠牲じゃないからね。
自分でわからないから人に吐き出して整理するんでしょ。
どっちかというと自己管理の怠慢だし、
人を利用しているという意味で
他者犠牲の色合いの方が強い。
本人が自己犠牲と思っているから、
ちょっとおかしいことになっちゃうんだけどね。
確かに、世の中の仕組みは
「大衆にはものを考えさせない」ようにできているから、
自分の本音とか、感情とか、違和感とかについて
自分と向き合うのに慣れていない人が
多いのは仕方ないのかもしれない。
でも、それは人を利用していい理由にはならないよ。
別に人に頼ることがいけないわけじゃない。
ただ、とても大変なことを
自分のかわりに担ってくれたという自覚もなしに、
ただ聞いて欲しいからと話を垂れ流すのは、
正直かっこわるいと思ってしまう。
自分を自分でもっとケアしていけたらいいのにね。
お風呂上りに保湿剤で全身ボディケアをするように、
自分の感じている不満とか違和感とかに
早めに気付いて対処してあげたい。
心身共に、自分のこと
一番そばで見てあげられるのは自分なんだから、
人に大切にされてないって怒る前に、
自分で自分のことを
しっかり大切に扱ってあげたい。
自分を大切に扱っている人を見ると、
周囲の人も同じように大切に扱ってしまうらしい。
なんといっても、人は社会的な動物だからね。
そういうの全部伝わるみたいだよ。