自分なんかってやたらと自虐したり、
自分は全然できていないって謙遜したり…
自分はなんてダメなんだって自分責めたり…
完璧な自分にならなければと思っていたり…
そういう人って結構多いらしい。
私は自分が大好きだから、
その感覚がいまいちわからない。
調子がいいときの自分も、
うまくいかないときの自分も、
どんな自分もOK!って思っているから。
もちろん、失敗したら謝るし反省するし、
繰り返さないように工夫もするよ。
なりたい自分になるために、
今できることを行動に移すよ。
でも、道半ば50%の自分だとしても、
自分のことはいつでも100%好きだよ。
世間一般からしたら、
私みたいな自分大好き!な人より、
自虐・謙遜・自分責めしている人の方が
奥ゆかしい?みたいな感じで
一見ウケがいいのかもしれない。
でも、長い付き合いになってくると、
結局面倒くさいと思われちゃうんじゃないかな。
「大丈夫だよ、そんなことないよ」待ちなの?
かまって欲しいの?
って、思われちゃう気がするんだよね。
実際、私だったらそう感じる。
きっと、自虐したり、
謙虚し過ぎたり、自分責めたり、
完璧目指している人は、
「別にかまって欲しいわけじゃない、
本当にそう思うからそう言ってるだけ」って
思っているかもしれないのにね。
損だよね。
ただ、とりあえず少なくとも、
『今の自分はダメだけど、
いつか理想の完璧な自分になれるはず。
そうすれば自分にOKが出せる』って
思っているとも言えるよね。
それってちょっと考えてみるとさ。
いつか自分は
完璧な存在になれるって
考えているところが、
実はものすごい自信家発言。
それって、もはやある種の傲慢さだとも
言えるんじゃないかな。
自虐や謙虚や自分責めや完璧主義が行き過ぎたら、
ものすごく傲慢な人になってしまってるんじゃない?
そういうのって、人は敏感に感じ取るよ。
だから、面倒くさいって思われるんじゃないかな。
人間も不安定な生物である以上、
完璧になんてなれるわけないし、
万が一なれたとしても、
「完璧なところが欠点」とか言われるんだよ。
「完璧すぎて面白みがない」とか、
「完璧すぎて親しみが持てない」とか。
周囲は勝手なこと言うよ。
周囲の望む完璧を手に入れたところで、
こんなもん。
切なすぎるよ。
自分大好きなまま、
自分の生きたい自分の姿を目指すことはできる。
自分の生きたい姿になれたとき、
きっと次のなりたい姿が見えてくる。
次のやりたいことが見えてくる。
だって今までいつもそうだったし、
きっとこれからもそうだと思う。
だから、常にいつでも届かないゴールを
目指し続けることになる。
そういう意味では、
周囲の言う完璧も、
自分の中の完璧も存在しないことになる。
誰も完璧にはなれないよ。
生きたい自分の姿で生きることは、
別に誰かに褒められたり、
認めてもらうためじゃない。
好きで自分のためにやっていることだから、
他人に評価されなくても気にならない。
だから、いつだって幸せだよ。
自虐したり、謙遜しすぎたり、
自分責めしたり、完璧目指したりしても、
自分も周囲の人も楽しくないし
誰も幸せになれないよ。
だから、早くこっち側においでよ。
楽しいし、幸せだよ。
自分で自分を幸せにできる自信は
何より大切だよ。
自分を好きでいるのに、
条件なんかいらないから、大丈夫。
同じ自信家なら、
自分を幸せにできる自信の
自信家になろうね!