子育てしていて、子どもを叱るとき、私は理由を必ず伝えていた。
だめ!ではなく、こうこうこうだから、だめ、なんだよ、と。
俗に言うしつこい叱り方だ。
だんだん、成長し、叱ることは減ってきた。でもたまに、あれっ?ということはする。
そしたら、それはいけない、と伝える。10歳くらいのときは、何がいけなかったか考えて、だめな理由を一緒に出した。
今は、叱るようなことあったら、それはいけないよ、と言ったときに何がわるいかわかっている。
または、何がいけないのか?私はこう考えるからだめじゃないと思う。と自分の意見を伝えてきて、確かに、と思うこともあれば、そうだけどこうなのさ、と話し合う。
もういいわ、と話を途中ではやめない。妥協案は見つけ出すかもしれないけど。
我が子がだめなこと言ったとき、したときは、顔色をあまりうかがわない。
叱るときは叱る。
不機嫌になろうともそれは自分が悪いんだから、反省さて、自分の機嫌を取れるように。
子どもの不機嫌ぶつけられたら、こっちも不機嫌になること伝える。
バカってもし言われたら、バカって言い返す。
自分がされて嫌なことに気づかせるのも大事だと思う。
笑っていてほしい、機嫌良くしていてほしい、そうは思う。小さい時なんて毎日思う。
したいことさせていたら、機嫌は良い。当たり前。叱らなくて良い。親も楽。
でもそれでいいのかな?
子どもの人生は、親の人生より長い。だめなことはだめ、と知っていないと、成長したときに大変だと思う。
人の気持ちにも気付かないといけない年齢にもなっていく。
一緒に居られる今に、伝えなきゃいけないこと、面倒で、キレられるかもしれないけど、向き合って話さなきゃいけないと思う。
話してくれないなら、話してくれなきゃ本当の気持ちわからないから話してほしい、と伝えてずっと待つ。
うざい親になっちゃうけど、その時間もきっと大切。
わがままにさせるのも愛かもしれないけど、向き合って語るのも愛だと思う。
ずっとわがまま好き勝手に生きていっていい、ずっと親が責任持つならば。
娘が不登校だったとき、ずっと家にいて好きなことずっとしているなら、それでいい。でもお母さんの寿命までしかできないよ、と。お母さんは親だから責任持つけど、その後、あなたを養ってくれる人はいないから、年取ったらお母さんと一緒にいくならね、と伝えた。
好き勝手は楽しいよね。でも、きっと虚しさもいっぱい。
向き合おう。けんかしても、泣きあってもいいから。
私は目を逸らさない。逃げない。
巣立つときまで、目は離さない。