娘が不登校だったとき。
私は不登校のまま卒業するのは嫌だった。
ずっと行けないとは思っていなかった。
必ず元に戻ると信じていた。なんの確信もなかったけど、このままではないと思えていた。
そのことを娘に伝えたことはない。
私は学校のある毎朝に娘に聞くだけ。
今日はどうするの?と。
学校に電話するのも、毎日。結論出なかったら、1日3、4回かけていたかも。
学校には迷惑だったと思うけど、かけてくださって良いですよ、と言ってくれたのに甘え、毎日かけた。
その姿を娘が見続けたことで、学校との糸は細いかもしれないけど、ずっと繋がっていられたと思う。
娘は、電話しないで、とは言わなかった。誰が出た?とたまに聞いてきた。
毎日電話するのは嫌ではなかった。休みの連絡をするのは当たり前のこと。不登校になってからは、その連絡が大事なことだと思っていたから。
人は私を強いと言う。
私だって泣いて、苦しくて、考えたら息が苦しくなって、逃げたい日もあった。
でも、私は、根底は大丈夫だったかもしれない。
いつか行けると信じていたから。
いつか通えるようになると信じていたから。
もし今も不登校のままでも、信じ続けていたかもしれない。
信じることで、期待を持つことで、私は自分を保てていたのかもしれない。
裏切られるつらさや悲しみより、信じられなくなることの方が、きっと私にはつらかったんだと思う。