「言葉」を丁寧に扱うだけで、人間関係が改善できたりします。

 

ちょっとしたポイントをお伝えすると、

 

「◯◯だ!」を

「◯◯だと思う」に変えるだけでも違います。

 

「◯◯だ!」という「断定的表現」は、いわゆる「決めつけ」

 

職場で、同僚や上司部下の言動に対して、

 

「それはおかしい」

 

と言ってしまうと、

 

「あなたの言動は客観的におかしい」

 

と言っているようなもので、相手は全否定された気持ちになるかもしれません。

 

言われた相手も、「あなたこそおかしい」と否定したくなり、水掛論になります。

 

なので、

 

「私は、おかしいと思う」

 

は、一個人の意見としての発言になるので、全否定よりは受け取りやすい。

 

もちろん、もう少し丁寧なほうがさらにいい。

 

「あなたはそう考えるんですね。私は◯◯だと思うけど、どう思う?」

 

まで言ってあげると、相手の受け取り方は全然違ってきます。

 

最近の私の例で言うと、

 

皆さんにご心配いただいていることはとても感謝しています、という前提のうえですが、

 

「身体に負担かかるからバイクはやめなあかんよ」

 

と、多くの人に言われます。

 

もちろん、心臓への負担を考えてのアドバイスであることは重々承知しています。

 

ただ、バイク移動にとことんこだわっている私の心理として、なかなか受け止め難い。

 

先日、コーチング仲間から

 

「ひでさんはバイク移動にこだわりがあったり、どうしてもバイクじゃないといけない事情もあるんですよね。寒い中バイクでの長距離移動は負担がかかるだろうし、冬のあいだだけでも考え直したほうがいいんじゃないかと私は思う」

 

と言われて、そうだよなぁ、と素直に受け止められました。

 

何度も念押ししますが、どなたからも心配していただいていることはわかっているんですが、

言われ方一つで感じ方が微妙に違うんです。

 

私の例だと、言い訳に思うかもしれませんが、

私たちのコミュニケーションは多かれ少なかれ、こういう一面があります。

 

伝える側は、正しいこと、当たり前のこと、相手のためを思ってのことを伝えているという思いであっても、

相手がそれを受け取れるかどうかは別問題です。

 

正しいと思うことだからこそ、相手にちゃんと受け取ってもらいたいですよね?

 

であれば、相手が受け取りやすい伝え方をしたほうが、お互いにとってプラスですよね。

 

「私は◯◯だと思う」

 

気が向いたら使ってみて。

マンションあるあるかもしれません。

 

うちはマンション住まいで、世帯数の割に住人の自転車台数が多く、駐輪スペースにおさまっていない。

 

みんながルールを守って、他の人のことも考えて駐輪すれば、なんとかおさまるのかもしれませんが、

総戸数12のマンションで、40台近い自転車バイクがあり、専用ステッカーを貼ってないものも相当数ある。

 

一人が「自分くらいいいか」をやりだすと、みんなバラバラな置き方をして、あとから停める人はスペースがない。

 

何度か管理会社に相談して対処してもらいましたが、ほとんど変わらず。

 

比較的毎日帰りの遅い私は、自分のバイクを停めるために、他の自転車を少しずつ動かして、スペースをつくっています。

 

正直言って、けっこうなストレスだったりします。

 

特に、数ヶ月前に引っ越して来られた方のバイク(250ccくらいかな)と自転車のセットがけっこうな停め方をしていて、カバーをしているので余計に場所を取る。

 

「いつか文句を言ってやる」と頭に浮かぶくらいイライラしていました。

 

そして、昨夜とうとうその瞬間が訪れました。

 

仕事から帰り、駐輪スペースの近くまで行くと、その大きなバイクのそばに若い男性が。

 

どうも、今からバイクに乗って外出されるようです。

 

バイクに乗るために、ヘルメットやカバーが周囲に無造作に置いてあるので、まったく私のバイクを停めるスペースはありません。

 

ここから先は、ほんの1,2秒のあいだの脳内会話。

 

クロひで

「停めるとこないやん!またか!もう今日は言わなあかんな」

 

シロひで

「まぁ、今日は仕方ないんじゃない?今から出かけるところなんだから。待ってあげようよ」

 

クロひで

「今日だけじゃなく、日ごろのことがあるから、注意するチャンスやん」

 

シロひで

「言ってもいいけど、お互い気分悪いし、ケンカとかになったらもっとイヤでしょ?」

 

クロひで

「いや、今日こそビシッと言わなあかん!」

 

と、シロひでとクロひでが議論しておりました。

 

次の瞬間、私の口から出た言葉は、

 

「いいバイクですよねー」

 

でした。

 

男性「あ、ありがとうございます」と少し照れた感じ。

 

その後、「寒いですよね」「バイク乗りにはツライですよね」という会話をして、

私「お互い、バイク停めるのに苦労しますね」

 

男性「そうですよね」

 

というやりとりをして、「気をつけていってらっしゃい」と声をかけて、その場を後にしました。

 

もちろん、ステイト上げめで。

 

今朝、出勤のために駐輪場に行くと、

彼のバイクがキレイに停めてありました。

 

平本さんのところで学んだ人は、みな何が起きたのかわかると思います。

 

私が毎日バイクを停めるのに苦労しているという主張するのではなく、

彼の苦労も承認したんです。

 

苦労しているかどうかはわかりませんが、彼には彼の事情があり、私にはわからない苦労があるはずです。

 

そこを承認することで、彼の行動が変わったんです。

 

いつもお伝えしていることですが、

「目的」は何なのかが大事。

 

感情にまかせて、バイクの停め方を注意した場合、どうなっていたか。

 

もしかしたら、反省して行動を変えてくれたかもわかりませんが、

揉め事になったり、その場をやり過ごしてあとで嫌がらせされる、なんてこともリスクとしてあり得る。

 

感情にまかせるでもなく、

 

嫌味を言うでもなく、

 

無視するでもなく、

 

気持ちよくバイクを停めるという「目的」に一番近いと思った選択をしたんです。

 

これを「目的論」と言います。

 

途中、クロひでが出てきましたが、クロひでも否定しない。

 

私の中に居るので、その意見も聴いてあげる。

 

そのうえで、最終的に結論を出すのは、一人の私。

 

気持ちのいい答えが出せた

 

私たちの中には、
「見つめられる自分」と「見つめる自分」がいます。

「見つめられる自分」とは、
周囲に何か言われて落ち込んだり、腹を立てたり、喜んだり、
相手や環境に感情が動いている自分のことです。

「見つめる自分」とは、
そんな感情になっている自分に対してダメ出ししたり、俺は正しいと言い聞かせたり、ジャッジしている自分のこと。

自己受容とは、
「見つめる自分」が「見つめられる自分」をそのまま受け入れることを言います。

よく、相手の気持ちには一切考慮しない、自由奔放、自分が正しいと思い込み、ズケズケとモノ言う人が「自己受容」と捉えられることがありますが、
自己肯定と自己受容は違います。

日本語では、
「認める」=「正しい」という意味で捉えることが多いですが、
「認める」とは、「ありのまま受け入れる」ことです。

誰かに否定されて落ち込んでいる「見つめられる自分」に対して、
「見つめる自分」が「落ち込んじゃダメだ」と否定するのではなく、
「落ち込んじゃったね」と受け入れる。

私たちは、相手の言動に対して、怒らないようにしようとか、イライラしたくないとか、
「見つめられる自分」を変えようとします。

でも、変えるべきなのは、「見つめる自分」。

それが自己受容です。

「見つめる自分」が変わると、周囲に対する目線も変わります。

良いコミュニケーション、良い人間関係を実現するための第一歩は、
自己受容です。