風のマーサ、「菅笠日記」を歩く4(完) 宮滝〜喜佐谷〜如意輪寺〜吉野 | 風のマーサ、街道を歩く(旅と古道と峠道のブログ)

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について書いています。
また、それらを
通して日本の美しい原風景を紹介出来たらなぁと
思っております。
是非、ご訪問ください。

こんばんは

風のマーサです😊


本居宣長が吉野近辺を散策した「1日」を

辿っています。

前回は宮滝まで歩きました。

宮滝は古代、吉野離宮があったとされる

所です。

(上写真、宮滝遺跡と書かれる石碑)

史跡指定地とされている

場所へと移動しました(下写真)

とくに何もない。

再び引き返して柴橋を渡りました。

さて菅笠日記によると、このあたりで

日が山に差し掛かろうとしていたので

吉野へと戻ることになったようです。


私のほうはと言うと

昼を少しまわったくらいですが

同じようにして吉野へと戻りたいと

思います。


少し進んだところで

左の谷へと入ります。

吉野川の支流、喜佐谷川が流れるところ。

舗装道路が通っています。

その道を500mほど歩くと左側、

川の向こう岸に

桜木神社があります(下写真)

また、ここを流れる

喜佐谷川が中々に風流でした。

象(きさ)の小川と呼ぶらしい(下写真)

大友旅人をはじめ、多くの歌人に歌を詠まれた

場所です。

ですが私自身の歌は控えておきます(汗)

そして喜佐谷集落を通過していきます(下写真)

さらに進むと

吉野山への登山口があります。

谷が二手に分かれているところで

そのうち、右股に進みます(下写真)

従是より吉野山領と書かれる

石碑が立っていました(下写真)

はじめは階段を登る道が塞がっていると

思いましたが、登山道はその右隣りの道に

なります(下写真)

谷沿いに続く道は

沢からは離れたところを通ります(下写真)


ここは近畿自然歩道として整備されていて

踏み跡も固く、とても歩きやすいです。

ほどなくすると道が分岐しています(下写真)

まずは右側に下っていきました。

すると滝の下へとやって来ます。

菅笠日記にも登場する高滝です(下写真)

個人的には、迫力ある蜻蛉の滝を見ているだけに

少々物足りなくは感じました。


ここから流れる川が桜木神社前を通り

吉野川へ注ぐ、その流れを

象の小川と言うらしい。


先程の分岐に戻り、今度は登っていきます。

高滝の上部に差し掛かると

祠がありました。

またベンチもあって

休憩地にもなっているようです。


かつて、この道は西吉野や天川、黒滝方面からの

伊勢参拝の道、いわゆる伊勢街道の一つでした。






先程も書きましたが

道自体は整備されていて

とても歩きやすいです。

このような道は、舗装道路並みに歩くペースが

上がります。

とはいうものの登りが結構しんどいです。


やがて峠?だろうか、稜線にまで

登ってきました(下写真)

これより左に進むと如意輪寺

右に進むと御園集落。

また道標が立っていました(下写真)

左 御園道 右 伊勢、喜佐谷

如意輪寺方面から歩いてきた場合の

道標だろう。

(あるいは西吉野、黒滝、天川方面から歩いてきた

場合の道標とも言える)

今回は稜線に登って左の如意輪寺方面へと

向かいました。

ほどなくして分岐点(下写真)

左は上千本、吉野水分神社

右は如意輪寺。

左のほうが、西吉野や黒滝からの

伊勢街道だろう。

今回は如意輪寺へと向かいたいのですが、

左に進んでも行けるので、左に登りました。

よく掘られた道が続いています(下写真)

そして登ってきました(下写真)

道標が立っています。

ここは道の分岐点となっていて

4方向に道が伸びていました。

また祠があって日拝地蔵というらしい(下写真)

日拝地蔵までやってきたら

左が尾根を登っていく方向で

吉野水分神社、黒滝方面。

右が尾根を下っていく方向で

如意輪寺、中千本、蔵王堂方面。


ここからは尾根を下り如意輪寺へと向かいます(下写真)

途中、先程分かれた如意輪寺方面への

道と合流します。

振り返ると、分岐には

左 桜木、伊勢 右 子守と

書かれる道標がありました(下写真)

慶應元年作だろうか。

そして稚児松地蔵(下写真)

この先、綺麗な石畳の道が続いていますが

それは新しい道だろう。

ここでは

右に分岐して尾根を進みます(下写真)

右 如意輪寺の石碑も立っています。


よく掘られた道だ(下写真)

そうして舗装道路に降りてきた(下写真)

降りると前には駐車場。

少しだけ舗装道路を歩き、次に

如意輪寺への階段を降りました(下写真)

そして如意輪寺の山門に到着しました(下写真)

中へと進みます。

また如意輪寺の後方の山には

後醍醐天皇の御陵があります。

さて境内を通り、向こう側の山門から

階段を降りていきました。

(上写真、山門を振り返る)

その後は山腹を縫うような道

を進みます(下写真)


下っていくと、

吉野駅へと向かう道が分岐します。

今回、こちらへは進まずに

五郎平茶屋方面へと

登り始めました(下写真)

そして途中からは

現在のメインルートから離れて

山腹を登る道に入ります(下写真)


登りきると五郎平茶屋の石碑が

立っていました(下写真)

この辺りから、谷を越えて如意輪寺まで広がっている

桜の群落が中千本というらしい。

また、この平地は

かつて茶屋があったところで

絶好の桜のスポットらしい。

また向かいには、

如意輪寺の多宝塔などが見られました(下写真)

さて五郎平茶屋から

向こう側の道へと降りていく。

そして金峯山寺の門前町、吉野山へと

向かいました(下写真)

さてさて

本居宣長が宿泊したあたりに

戻ってきました。

菅笠日記によると、日が暮れてきたので

その日は如意輪寺には参らずに

翌朝に参拝しています。


これで、何とか菅笠日記における

吉野近辺の散策を2日がかりで

巡ることが出来ました。

(本居宣長は1日で散策している)


実際に歩いてみて思うのは

江戸時代の観光は並大抵のものでは

ないということ。

現在では考えられないくらいに歩く、歩く。

観光も体力勝負だ。


その後はゆっくりと

吉野駅まで歩き続けました。

午後4時着。

終わり。

2023年11月下旬