風のマーサ、檜尾峠(と冠ヶ峠)を行く(前) | 風のマーサ、街道を歩く(旅と古道と峠道のブログ)

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また、それらを
通して日本の美しい原風景を紹介出来たらなぁと
思っております。
是非、ご訪問ください。

こんばんは

風のマーサです😊


今回は越前(福井県)と美濃(岐阜県)とを

繋ぐ峠道のうち、檜尾(ひのきお)峠と冠ヶ峠を

探索したいと思います。

いずれの峠も池田町(福井県今立郡)と

旧徳山村(岐阜県揖斐郡揖斐川町)とを結んでいます。

徳山村は現在、ダム湖に沈んでいます。

*徳山ダムは2008年に完成


檜尾峠は河内、楢俣(池田町)と塚(徳山村)を

結んでいました。

冠ヶ峠は河内、田代(池田町)と塚(徳山村)を

結んでいました。(下図参照)

時代背景としては

冠ヶ峠のほうが古くからあって

檜尾峠は江戸時代後期に

あたらしく開かれたようです。

いずれにしても

現在はどちらの峠道も廃滅していて

かろうじて檜尾峠の福井県側だけが

登山道として利用されているようです。


1971年(昭和49年)に

林道冠山線の車道が完成しますが、

おそらくそこを境にして

昔の峠道は消滅の一途を辿ったように

思います。

現在は(新しい峠である)冠山峠を越える

林道冠山線の車道が池田町と揖斐川町を

繋ぐ唯一の道になっています。

(一年の半分くらいは積雪のため通行止め)

また近々、新しくトンネルが完成するようです。


冠ヶ峠→檜尾峠→林道冠山線(冠山峠)→国道417号線

(トンネル)と時代とともに交通が変化していきます。

さて話を戻して、今回のメインである

檜尾峠について。

楢俣川を遡上して、谷が二つに分かれるところで

その中間尾根を登り詰めていくと

越美国境尾根に出ます。

その交点が一般的に檜尾峠(下写真)と

されているようですが

実際に昔の地図を見ると、そこに道は

通っていなかったように見えます。

つまり峠は別の場所、ここより

福井岐阜県境を東に下った鞍部あたりに

あったように思います。

このあたりも含めて、実際に確認、体験してみたい

と思います。


まず、北陸本線の武生駅より

バスで池田町稲荷までやって来ました(下写真)

近くには一里塚がありました(下写真)

また池田惣社と呼ばれる須波阿湏疑神社が

あります(下写真)

境内には

樹齢千数百年といわれる
稲荷の大杉がありました。
とても大きくて迫力があります(下写真)

さて池田町稲荷から

岐阜県との県境、檜尾峠まで

まずは歩いていきたいと思います。

足羽川沿いを南へと進み

国道417号線に合流しました。

国道を左に進むと、ほどなくして

月ヶ瀬集落に至ります。

さらに国道417号線を進みますが

この辺りは車の通行量が多いです(汗)

しばらく歩いていると

道が分岐します(下写真)

左が国道417号線、右へ大正橋を渡れば

皿尾、土合の集落へと入っていきます。

ここでは車の通行量が少なそうな右へ進みました。

こちらの道は静かです。

ほどなくして

皿尾集落が見えてきました(下写真)

次に土合に入っていきます(下写真)

ここでは左の降りていく道を進みました。

土合には越前そばのお店があります。

体力を整えるにはちょうど良いです。
(帰りに食べました😊)

そして足羽川を渡り対岸に出ます(下写真)

すると、先程分かれた国道に合流します。

またすぐに志津原の旧道に入りました。

志津原にはアドベンチャー施設があって

子供連れの観光客でいっぱいでした。

対岸の土合、越前そば屋さんも含めて

車の交通量が多いのも頷けました。

また自販機を含めて、最終補給ポイントに

なりそうです。


志津原を出て、国道417号線に出ます。

(上写真、志津原地区を振り返る)

国道には、岐阜方面への

通り抜けが出来ません!という看板が

出ていました(下写真)

ここからは車の通行量はぐんと減ることに

なります。

国道417号線を足羽川沿いに歩いていきます(下写真)

つまり足羽川源流域へと進みます。

(参考)足羽川を下流に向かっていくと

やがて福井市内に入り、かつては

福井城の外堀の役割を果たしていました。


ほどなく史跡 上島用水の所では

滝が流れていました(下写真)

滝の側はすこし涼しいです。ひと休み。

次の河内集落までは

かなり遠いです(汗)

延々と南へと歩き続けます。

洞門も進みました(下写真)


やがて右側の旧道に入っていきます(下写真)


祠がありました(下写真)

写真は帰りに撮りましたが

いずれにしても昔の地図を見ると

この先が河内集落になるようです。


石積みが見られ、また小屋?建物?

が崩れていた(下写真)

UCCの自販機?だろうか。(下写真)

あたりはひっそりとしていました。

そして橋を渡って対岸に行くと

国道に合流しますが、すぐに旧道へと

進みます。

すると入り口部分には河内の大銀杏と書かれる

看板がありました(下写真)

覆い茂った草の中を進んでいくと

神社のようでした(下写真)


こちら側も河内集落だったようで

今はひっそりとした森林になっていました(下写真)

旧道を進み

橋を渡ると、再び国道417号線に合流します。

ここで道は二手に分かれます。

昔で言えば冠ヶ峠ルートと檜尾峠ルート

に分かれます。

今回は檜尾峠へと向かいたいので

ここで国道から分かれ右手前に入る

道に進みます。

(ちなみに国道417号線を進むと冠山林道に

引き継がれ冠山峠に至りますが

5月上旬は、まだ通行止めのようです)


さて、檜尾峠へと向かいます。

始めは舗装路でしたが、すぐに

未舗装に変わります。

河内からは、足羽川を離れ

その支流である楢俣川沿いを進んでいます。


ほどなくして

沢山の石積みが見られるようになります。

楢俣集落跡に入ってきたようです(下写真)


また、お地蔵様が祀られていました(下写真)

ひっそりと佇む楢俣を過ぎて

さらに谷奥へと入っていきます。

このあたりで標高400mくらいだろうか。

その後、林道は川よりも

かなり高い所を通っていきました。

やがて橋を渡りました(下写真)

そうして、さらに歩くと

檜尾峠への登り口までやって来ました(下写真)

橋を渡らずに直進方向に進みます。


ちなみに、ここで楢俣川は

二股に分かれています。

橋を渡って進むと左股のほうに

入っていきます(添又谷)

国土地理院の地図を見ると、すぐに

ため池があるようです(未確認)


肝心の檜尾峠へは

右股に少しだけ進んでから、渡河して

中間尾根に取り付いていきます。

そこについては、次回詳しく

書いていこうと思います。

続く。

(今年の5月上旬)


(参考)

県別マップル18 福井県道路地図など