アイドルといわれて、頭に浮かぶもっとも古い記憶は、森昌子、桜田淳子、山口百恵の「中三トリオ」。そして、キャンディーズとピンクレディ。

 

 山口百恵のデビューが1973年。キャンディーズも歌手としてのデビューは1973年。ピンクレディーがすこし遅れて1976年。

 

 当時、小学校低学年だった僕が、彼女たちに持っていた印象は、テレビに出て、歌ったり、踊ったり、コントをしたりする若い女の人、という感じだった。

 

 Wikipediaで「アイドル」の解説を見てみると、この時代に起こった映画からテレビへの大きなメディア勢力の移行というのが、「スター」から「アイドル」への意識とまなざしの変化として考えられる、とある。

 

 手のとどかない憧れのスターから、親しみやすく好感のもてるアイドルへ。

 

 それは『スター誕生!』というオーディション番組から生まれた山口百恵が、『8時だヨ!全員集合』でコントをする時代だった。もちろん彼女は映画女優としても活躍し、テレビドラマでは「赤いシリーズ」で、ひとつの時代をつくっている。

 

 1980年、山口百恵は引退する。引退まぎわの彼女をアイドルだと感じていた人はいないだろう。山口百恵はスターだった。最後のステージにマイクを置いて、伝説のなかへと去っていった。このとき彼女は21歳だった。

 

 アイドルの引退としてはキャンディーズの方が印象深い。

 

 1978年にキャンディーズは解散している。前年のコンサートのさなか突然、解散を口にした。このとき伊藤蘭の発言した──

 

「普通の女の子にもどりたい!」

 

 というフレーズはとても有名だ。そして解散コンサートの時にはこう叫んだ──

 

「わたしたちは本当に幸せでした!」

 

 そのふたつの言葉は、アイドルという存在のもつ「幸福と苦しみ」をよく表していて、いま現在にまで響きつづけている。

 

 彼女たちの解散コンサートを、テレビの前にかまえたラジカセで録音したことを、僕は覚えている。

 

 キャンディーズの活動期間は6年。解散時には伊藤蘭が23歳、藤村美樹と田中好子は22歳だった。伊藤蘭と田中好子は俳優として芸能界に復帰し、活躍する。

 

 彼女たちはキャンディーズ解散の瞬間までアイドルだった。

 

 

 

  ──「松田聖子の登場。80年代のはじまり」につづく

 

 

 なぜ、庄司芽生の声は震えていたのか?

 

 もちろん彼女は怯えていたわけではない。ただ、慎重に言葉を選んで話さなければならない理由もあった。

 

 2017年8月6日、お台場で開かれた『東京アイドルフェスティバル』の最終日。日が暮れたばかりのスマイル・ガーデンのステージに東京女子流の四人は立っていた。

 

 野外の広場は観客でうめつくされ、光につつまれたステージが薄暮のなかにぽっかりと浮かんでいる。よく映える赤い衣装に身をつつんだ山邊未夢、新井ひとみ、中江友梨、庄司芽生は、『おんなじキモチ』『ちいさな奇跡』というアイドルファンたちによく知られた初期の楽曲を、まずは披露した。

 

 かわいらしい曲に、わかりやすい振りつけ。観客もいっしょになって振りつけを踊る。

 

 二曲を歌い終えたあと、四人は深くお辞儀をする。彼女たちに送られた歓声が静まるのを待って、庄司芽生が話しはじめる。ひさしぶりにスマイル・ガーデンのステージに立てたことに感謝し、また観客達といっしょに踊れたことへの喜びを伝える。そして彼女はすこし真面目な顔になり、つぎの曲を紹介する。

 

「つぎも、わたしたちの大事な大切なオリジナル曲です──」

 

 その声はすこし震えているようにも思えた。二曲を歌い踊ったあとで、ちょっと息も上がっている。彼女たちはこのステージのまえに、炎天下の昼間のステージで五曲を披露し、前日もメイン会場のホットステージでパフォーマンスをしている。その疲れや緊張があっても不思議ではない。

 

 緊張という意味では、前日のステージの方が大きかったはずだ。東京女子流にとっては三年ぶりの『東京アイドルフェスティバル』への出演。どんな反応があるのか不安だっただろう。

 

 そして、なぜ三年もの空白があったのか?

 

 そこには一般に「アーティスト宣言」と呼ばれる出来事と、その後におとずれた不測の苦しみがあった。

                 

 「アーティスト宣言」て、なに?

 

 2015年1月のはじめに、東京女子流の生みの親であり、マネジメントやクリエイティブの責任者であった佐竹義康によって示された活動方針である。

 

(USTアーカイブ『アーティスト東京女子流 宣言へ』※1 残念ながらこのアーカイブは消失している)

 

 簡単にいうと、東京女子流は一貫して「ガールズ・ダンス&ボーカル・グループ」と名乗っており、「アイドル」を自称したことはない。実力のあるアーティストを目指すために、彼女たちの意識や楽曲へのとりくみ、プロモーションのやりかたも変えていきたい、という内容だ。

 

 ただ、この「アーティスト宣言」というトピックの刺激性と、佐竹氏も触れている「アイドル」ということばの持つイメージの多様さや、その状況をめぐるさまざまな視線や意見から、当時いろいろと物議をかもしたであろうことは想像できる。

 

 このあとチーム東京女子流がたどることになった苦境の日々については後述することにして、このやっかいな「アイドル」と「アーティスト」ということばについて、個人的な経験から少し考えてみたい。 ──つづく

 

 

 (※1) 2019年9月26日現在、アーカイブは存在していない。この文章を書きはじめて一年くらいは存在していたので、誰かが意図的に削除したわけではなく、Ustream自体のサービス停止の影響かと思われる。商業用のデジタル記録の脆弱さを感じる。歴史はこのようにしてあっさりと消え去る。東京女子流の「アーティスト宣言」には、この時代の「アイドル」や「アーティスト」にたいるす意識や、衰退するパッケージメディアをめぐる音楽業界の課題が含まれている。もしどこかに動画が残っているのなら、ネット上にアーカイブする意味があると思う。何十年かあとに、誰かが研究対象にするかもしれない。書き起こしだと、発言者がもつ微妙なニュアンスが削ぎ落とされてしまうこともある。

 

 有志の方の書き起こし(いまとなってはとても貴重)と当時の記事のURLを添付します。

 

東京女子流アーティスト宣言(素人テープ起こし) | カピバラ日和

 

東京女子流“アーティスト宣言”が起こした波紋 岐路に立つグループの戦略を読む - Real Sound|リアルサウンド

 

 ブログを書いてみる。

 

 きっかけは2017年のTIF(東京アイドルフェスティバル)での東京女子流のステージに感動したから。

 

 そう書いただけで、意味のわかる人がこの世界にどのくらいいるものだろう。そして、このブログのタイトルを見て、それがどこから持ち出されたものか、気づく人が。

 

「manufactured girls」は〈工場で製造された女の子たち〉というような感じだろうか。

 

 この言葉は2012年に、イギリスのロックバンド「OASIS」のノエル・ギャラガーが、テレビ朝日の『ミュージックステーション』に出演したとき、共演したAKB48を見てブログに書きこまれた発言だ。前後の文脈もあわせて、当時はAKB48が、さらには日本のアイドルが、「馬鹿にされた!」と一騒動あったようだ。(※1

 

 じっさいには「manufactured girl group」は〈他者の意図で結成された女性グループ〉という意味でも使われるらしい。だとすれば、AKB48をはじめ、世界中のアイドルグループによくあてはまる。

 

 それでも「manufactured girl」には、大量生産された工業製品のような響きがあるし、同じ容姿、同じスペック、同じリアクションの、クローン人間のような冷えびえとした風景を思わせる。

 

 同じ衣装、同じ振りつけ、同じフレーズを、大人数で歌う「AKB48」のファンが、ノエルの言葉に過剰に反応した気持ちもわかる。

 

 似たもやもや感を感じたことがある。

 

 ハリウッドのアニメ映画『SING/シング』(2017年)に登場した日本語を話すレッサーパンダの5人組「キューティーズ」を見て、ぜんぜん笑えない感じ、あれだ。

 

「キューティーズ」を作り上げた人たちは、「キャンディーズ」について知っていただろうか。なぜ、彼女たちが解散し、泣いていたのか、考えただろうか。

 

 僕自身のアイドルについての原風景のひとつに、キャンディーズの解散コンサートがある。小学生だった僕は、テレビで見ていた。なぜかテレビの前にラジカセを置いて、放送を録音した記憶がある。(あのカセットテープはどこにいったんだろう…)

 

 そこで歌われていた「つばさ」という曲がとても印象に残っている。小学生ながらに、悲しさだけではない、胸に迫る熱さのようなものを感じた。

 

(いま調べてみると、この曲が解散コンサートの最後の曲だった。しかも作詞はメンバーの伊藤蘭! 解散発表後にファンに向けてつくられた曲だった)

 

「ほんとうに、わたしたちは、幸せでした!」

 

 と叫んだのは、この曲の中間の語りの部分だった。そして、曲の最後は、

 

「真実の真実のふれあいを忘れない」

 

 と結ばれている。40年の時を越えて、現在のアイドルファンにまで響くフレーズだ。

 

 キャンディーズのファンだったのかと聞かれると、よくわからない。ただ、彼女たちの出る番組は見ていたし、なにより歌が好きだった。明るくて爽やかな歌声だった。でも、「つばさ」はそれまでの明るい曲とはまったくちがう。とても切実で、いまから見ると、曲調も大げさなくらいシリアスだ。だから強く印象に残ったのだろう。

 

 僕はAKBヲタでも、アスタライト(※2)でもない。だけど、映画が好きで、音楽が好きで、物語が好きだ。そして自分が感動したものを信じるしかないと思っている。

 

 だから、この文章を書いてみようと思った。

 

 仕事がら、何年かごとに、アイドルまわりのことをちょっと調べてみたり、歌手やミュージシャンにたいして「アーティスト」という言葉が使われはじめたころの記憶もある。

 

 その「アイドル」と「アーティスト」という言葉のはざまで、もっとも苦しんだのが東京女子流だろう。

 

 そして「アイドル」という言葉の印象を(あるいは機能を)変えてしまったのがAKB48だといわれる。

 

 でも、ほんとうにそうだろうか?

 

 もしかしたら、彼女たちが変えたのではなく、むしろ変わっていく世界に、変化する音楽業界、進化するエンタテインメントの世界に、適応したのが、AKB48だったのかもしれない。

 

 たぶん、そこに正しい答えはない。でも、AKB48の起ち上げ期のようすは、いまから見てもとても面白い。そこにつながる、脈々としたアイドルの歴史もある。あらゆるものが、先行するものの影響を受けている。

 

 ブログはまず、2017年のTIF(東京アイドルフェスティバル)での「東京女子流」のステージからはじまる。そして、1970年代の山口百恵やキャンディーズ、80年代の松田聖子の記憶にさかのぼり、90年代のアイドル冬の時代といわれる、女性歌手を「アーティスト」として売り出した時期、その90年代の末に登場したモーニング娘。と宇多田ヒカル。2005年に誕生したAKB48。「アイドル戦国時代」といわれるようになった2010年に結成された東京女子流。やがて訪れる2018年の乱気流という流れでつづっていく。

 

 なんでまた2019年のいま、2017年のTIFなんて中途半端なころからはじまるかといえば、先ほども書いたように、そのパフォーマンスに感動して、僕自身が「アイドル」とか「アーティスト」って、そもそも何だっけ? と考えはじめ、夏休みでもあったので、ちょっと書いてみようか、と書きはじめたら、2年もすぎようかという時間がかかってしまった、ということで……

(ほんと何やってんだ、おれ)

 

 それでも、なんとか、2018年までたどり着いてはいるので、大したことは書いていないけれど、すこしずつアップしていきたい。

 

 彼女たちはなぜ、それでもステージに上り、歌うのか。そんな事を考えながら、この章の終わりに、このブログのはじまりに、宇多田ヒカルの文章から引用する──

 

歌を歌うことは、人であるために必要なことのように思える。

 

メロディーは、誰かの心の原風景。懐かしい場所からのメッセージ。

 

リズムは、死へ向かう生命の行進の音。

 

歌は祈り、願い、誓い。

 

音楽は、慈悲。

 

それ以上、音楽の難しいことは知らなくてもいいと思う。

 

                宇多田ヒカル『点』より

 

 

 

(※1)【実際に和訳して検証】元OASISのノエル・ギャラガーがタモさんやMステをディスった!? 大ウソ! 勘違いであることが判明したよ | Pouch[ポーチ]

 

(※2)「アスタライト」は東京女子流のファンのこと。