聖書と聞くとキリスト教
つまり宗教の読み物ってイメージだと思う
私は幼稚園はカトリック系
高校はプロテスタント系
だった
しかし洗礼を受けているわけではないし
キリスト教を信仰しているわけでもない
高校では聖書を習う時間もあったけど
今となっては全く記憶にない
知っているのは時々どこかで誰かがシェアする
自分を愛するように隣人を愛しなさい
右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい
といった名言的なものだけだ
客観的にみて聖書って
大大大ベストセラー本ってことだよね
昔はホテルの部屋にも聖書が置いてあったし
世界中の人が知っているし多数の言語に翻訳されている
旧約聖書に至っては紀元前だというから
どれだけ長い期間世界中の人に読まれているのか?
我が母校聖愛高校の野球部監督さんが
倫理法人会のバイブル「万人幸福の栞」のことを
聖書よりもわかりやすく深い
と話されていた
つまり、
聖書はただの宗教本ではないということだろう
イメージと違う何かがあるのだろう
年末に入校を決めた赤塚國學塾師範学校では
聖書塾という学びの場もいただいた
ここでの聖書塾は
宗教としてではなく実際どんなことが書かれていて
何を伝えようとしていたのか?
その本質を見ていく時間だというので
一応キリスト教系の高校を卒業して
何も聖書のことわからないのも恥ずかしいから
学び直すいい機会になる
コミレイちゃんは
どんなことがわかって、どんな風に感じて
どんな風に活かして行くのかな?
楽しみだね
本日もお読みくださり、
ありがとうございました