『7つの習慣』


という本をご存知の方も多いと思う

私も8年くらい前に手にした


書かれてあることを自分事として実践に落とし込むのが苦手な私

ようやく腑に落ちたと思わせてくれるこの1週間だった


第1の習慣 主体的である


刺激と反応の間

何が起ころうとも、それが自分に与える影響を自分の中で選択することができるのだ

と書かれてある


主体性の定義として

自発的に率先して行動することだけを意味するのではない


とも書かれてある

8年前に手にして読んだ時に

私が線を引いていた部分だ


線を引いていたけど、

自分事として腑に落ちていなかった


この1週間何があったか?


私が勤務している薬局で調剤過誤が発生した


一包化といって、薬の数が多い方や飲み間違いを防ぐため、あるいはシートから薬を取り出すのが困難な方に

朝、昼、夕と飲む時間毎に全て1つにまとめて分包する


分包する人

監査して投薬する人

投薬後になるが、分包した薬のシートを再確認する人


分けて業務を行っている


投薬後のシートの確認で

一包化している患者さんの薬に違う薬を入れてしまったことが判明したのだ

週末が入ったので

間違えた薬は既に2日間飲んでしまっている


この日は管理薬剤師は休み

分包したのは管理薬剤師

監査して投薬しようとしたのは入社して数ヶ月の薬剤師だったが、後から取りに来ることになっていたため結果的に投薬したのは管理薬剤師だった


安全管理担当としてインシデントやアクシデント事例の収集と報告をする担当は出勤しているが、

子育て中のため帰宅時間が迫っていた


投薬後のシート確認担当は

安全管理担当ではなく

私に調剤過誤が発生したと伝えた


という刺激があった


この条件反射を止めて

刺激と反応の間に

安全管理者に伝えてもらうのか?

過誤を見つけた人にそのまま対応してもらうのか?

私が対応するのか?

選択肢の中から決めるということだろう


そういえば、1年前「たましいの学校」でも

いちいち自分に聞くんだよ

って言われていたこと


しかし

条件反射的に私が対応するという

反応をしたのだ

なぜなら健康被害が懸念される過誤だったからだ


刺激と反応の間の

1秒にも満たない瞬間を意識していなかったのだ


この反応の何がいけなかったのか?

一見すると今回のケースは

一刻を争う状況でもあるから

正しいように見える


これは、連休だった管理薬剤師が出勤し

報告した時にその答えがわかる


私は誰もがやりたくない、調剤過誤の対応をした

しかも、自分が間違えたわけでもない、

安全管理担当でもない自分が

発見者から「どうしよう」と言われて反射的に動いただけだ


患者さん宅へ連絡し、お宅に伺い事情を説明し

お詫びと薬を回収

処方元の医師にも連絡し

お詫びと今後の指示を仰いだ

その後再び患者さん宅へ伺いお詫びをし

医師からの指示を伝えた


極度の緊張で数日はストレスから顔面神経麻痺を起こすほどだった


ところがだ、

管理薬剤師から私へ対する労いの言葉はなく、

いや、ないわけではない

黒ひょうの私は

「ありがとう」って感謝の言葉が欲しかった

後から取りにくる患者さんの薬を間違えて用意されていたことで、とばっちりを受けたという反応

に、


「とばっちりを受けたのは私だームキー


って叫びそうになり、叫ぶ代わりに

ちょうどそのご家族の薬を用意していたから、

届けにいって状況確認して来てはどうか?

と嫌味たっぷりに提案をしたのだが

行きたければどうぞ的な反応をされ気分は悪くなる一方だった

叫んだ方がよかったかなえー


もし、あの時

私が刺激と反応の間に

私が対応すると選択したなら、

こんな嫌味を言うことはなかっただろう


自己犠牲して感謝されず、

イライラするっていうのは

この刺激と反応の間に選択をしなかったからだと痛感した


主体性のない自己犠牲は

誰も幸せにはならないのだ



本日もお読みくださり、

ありがとうございました😊