今回沖縄に来た目的

昭和20年6月13日

先の大戦の沖縄本土決戦で亡くなった祖父

そして同じく亡くなった祖父を含め15柱の命日慰霊祭に参列すること


半世紀近く前に両親と家族4人で沖縄を訪れた際に永代供養をお願いしていた

そのため毎年命日慰霊祭を執り行うという

案内のハガキが毎年祖母宛に届いていた



昨年父が亡くなり

沖縄の南の方は何だかあまり感じのいいものでない感じだし


今年は絶対に行くと決めていた


おじいちゃんごめんね

こんなに長い間行かなくて



遺族の参列者がいなくても

沖縄県護国神社では

こうして毎年祭祀をおこなってくださっていたのだなぁと有り難い気持ちでいっぱいになった


慰霊祭が終わった後

お時間を作ってくださり

沖縄戦のことを調べている方よりお話いただいた


昭和20年4月から沖縄にアメリカ軍が上陸し

本土決戦となった

全国から召集された軍の方々

県外で一番多いのは北海道の方々だったそう

隊は同郷の者たちで編成し結束を強めたそうだ


一時は首里城で進撃を抑えたものの

段々南部の方へ追い込まれていった


合同慰霊祭が行われている6月23日が

牛島司令官が自決し沖縄戦が終結した日

その10日前である6月13日に

米須(当時は米洲という表記だったらしい)という地にて戦っていた祖父が亡くなった

東北出身者で編成された部隊は辛抱強く

最後まで残ったそうだ


今もなお、身元のわからないお遺骨が平和記念公園に安置されている

今はDNA鑑定があるので

照合して帰還できるケースもあるのだそう


祖父の遺骨はコミレイ家の墓には入っていない

おじいちゃんを連れて帰ることができる日が来るかもしれないおねがい


祖父を含め沖縄戦で戦死した英霊の皆さんは靖国神社にも祀られているそうで

祖父の名前もちゃんと登録されているそうだ

このことについては初めて知ったことだった


靖国神社は超お偉いさんだけが

祀られているのではなかったのだ

だから政治家たちは参拝していたのだ


靖国神社へは一度しか足を運んでいないので

上京した際は必ず行くことにしよう


県庁に行くと軍籍というものがあって

当時の詳しい動きが記録されている

ということも教えて下さった


ネットでは知り得ない情報ばかりだ


凄く有り難い時間を過ごさせていただいた


外は豪雨

祖父や英霊の皆さんの号泣と浄化の雨だな



今度はいつ来れるかな

おじいちゃんを連れて帰ることができるかな


そんなことを思いながら

護国神社を後にした



本日もお読みくださり、

ありがとうございました😊